2020/09/16

岸部四郎の古本人生

 先日、岸部四郎さんが亡くなった。享年七十一。かつて『小説すばる』二〇一三年九月号に「岸部四郎の古本人生」というエッセイを書いたことがある(後に『古書古書話』本の雑誌社、二〇一九年刊にも収録)。以下はその再掲(最後の一行は単行本に収録したものではなく、元原稿のほうのオチである)。 

「岸部四郎の古本人生」 

 古本マニアのタレントといえば、岸部四郎(岸部シロー)である。
 グループサウンズ時代はザ・タイガースのメンバー、その後、俳優(『西遊記』の沙悟浄役など)や司会(『ルックルックこんにちは』の二代目司会者)としても活躍した。
 岸部四郎の父は、京都で店舗を持たずリアカーで古本を売る商売をしていた。
『岸部のアルバム 「物」と四郎の半世紀』(夏目書房、一九九六年)は、自らの蒐集哲学を綴った異色のエッセイ集である。
 第一章の「ノスタルジーとしての初版本」によると、古本が好きになったのは下母沢寛原作のドラマ『父子鷹』(関西テレビ、一九七二年)に出演したのがきっかけだった。幕末を舞台にした時代劇に出演したさい、その原作を読み、たちまち本の世界に魅了される。
「それまでは音楽に夢中であまり本を読む習慣はなかったが、それからはもう江戸の風俗や勝海舟、坂本竜馬、西郷隆盛をはじめとする幕末群像に関するものを、むさぼるように読みはじめた」
 さらに西山松之助、三田村鳶魚など、江戸文化の時代考証もの、明治期の日記や評論も読みふけった。二十代前半の岸辺さんの読書傾向はかなり渋い。
 それから夏目漱石に耽溺し、明治の文人の初版本を集めるようになる。
「近代日本の象徴ともいうべき漱石の大ファンになってしまったぼくは、作品を読めば読むほど、あるいはこれら弟子たちの書いた漱石を読めば読むほど、もっともっと漱石のすべてを理解したくなった」
 そのためには当時の雰囲気を感じながら読まなければいけない。
 岸部四郎はそう考えた。
 初版本だけでなく、読書環境もなるべく漱石の時代に近づけたいとおもい、アパートを借り、六畳一室を自称「漱石山房」にする。明治の家具や什器を揃え、座布団も芥川全集の装丁の布とそっくりなものを民芸屋で探してもらい、わざわざ作った。
 暖房もガスや電気ではなく、火鉢に炭を使い、部屋にいるときは和服ですごす。
 漱石、安倍能成、芥川龍之介、内田百閒、森鷗外、永井荷風、島崎藤村、志賀直哉と近代文学を次々と読破し、その初版本かそれに類する本を集めた。
 漱石の次は芥川龍之介も熱心なコレクションの対象になった。神保町の古本屋・三茶書房の店主・岩森亀一が自ら額装した芥川全集の木版刷り(売り物ではない)も頼み込んで譲ってもらった。
「芥川を蒐めだしたころは、ぼくは三茶書房のご主人がその道の権威だとは知らなくて、ただの偏屈な古書店の親父だと思っていた」
 続いて興味は芥川から永井荷風に移る。
「荷風に凝れば、どうしても私家版の『腕くらべ』『濹東綺譚』『ふらんす物語』が欲しくなるのは人情だ。これらはコレクターズ・アイテムのシンボルみたいなもので、だれでも欲しがるが、もう最近ではほとんど市場に出てこない」
『腕くらべ』の私家版は友人たちに配られたもので限定五十部。岸部四郎が探していたころ(おそらく一九八〇年前後)の古書相場は五十万円くらいだったそうだが、一九九〇年代半ば、店によっては二百万円くらいになった。『ふらんす物語』は発禁になり、印刷工場に残っていた予備を好事家が装丁したもので、『腕くらべ』が五十万円のころ、三百五十万円くらいしたという。
 しかし自称「漱石山房」は妻との離婚により幕を閉じ、蔵書の大半も売却した。中には売りたくないものもあったが、「それを隠したのでは値段がつかない」。
 自分の不要な本だけ売っても、なかなか高値で買い取ってもらえない。
 古本屋がほしい本(店に並べたい本)をどれだけ混ぜるか。このあたりの駆け引きは古本を売るときの醍醐味といえる。
 彼の趣味は、絵画、骨董、玩具、楽器、オーディオ、ヴィンテージバッグ、ヴィンテージジーンズなど、多岐に渡っている。
「趣味は貯蓄」といい、八〇年代にはお金儲けに関する本(『岸部シローの暗くならずにお金が貯まる』、『岸部シローのお金上手』いずれも主婦の友社)を刊行していた彼が自己破産に陥ってしまう。離婚の慰謝料、借金の保証人など、様々な事情もあるのだが、蒐集対象を広げすぎたこともすくなからぬ遠因になったとおもう。
 岸部四郎といえば、二〇一一年一月、昼の情報番組の企画で風水に詳しい女性タレントが部屋の運気を上昇させるという名目で、彼の蔵書を某古本のチェーン店に売り払ってしまう“事件”があった。
 蔵書の中には吉田健一の著作集(全三十巻・補巻二巻、集英社)もあったのだが、買い取り価格は六百四十円……。
 全集の古書価は下がっているとはいえ、今でも吉田健一は古本好きのあいだでは人気のある作家で、著作集はかつて十万〜十五万円くらい売られていた。
 放映後、番組にたいし「岸部さんが不憫すぎる」といった批難が殺到した。
 ただ、この騒動のおかげで岸部四郎が漱石、芥川、荷風から、英文学者でエッセイストの吉田健一まで読み継いでいたことを知り、ただ単に「物」としての本ではなく、心底、文学が好きな人だとわかったのは収穫だった。
 ちなみに、『岸部のアルバム』には、自称「漱石山房」時代、同じアパートの別の階に森茉莉も住んでいて、その交遊も記されている。
 なんと森茉莉は、鷗外よりも○○のファンだった。