昨日、杉並郷土博物館に行き、『杉並文学館 井伏鱒二と阿佐ケ谷文士村』など、未入手の文学展パンフを買った。杉並文学館は十月三十一日から。『井伏鱒二と阿佐ケ谷文士村』には「杉並の作家」という地図が付いていて、黒島伝治が高円寺(東高円寺)にいたことを知る。黒島家から青梅街道を渡ると龍膽寺雄と中野重治の家がある。京都の古書善行堂の棚みたいだ。ただし当時の作家はしょっちゅう引っ越していたので、時期が重なっていたかどうかはわからない。
吉川英治は高円寺のどのあたりに住んでいたか。今の住所だと高円寺北三丁目あたりか。北原白秋も高円寺と阿佐ケ谷のあいだくらい。藤原審爾は阿佐ケ谷と荻窪も中間くらい。柏原兵三の家もそのすぐ近く。この地図だと新居格は高円寺ではなく、阿佐ケ谷時代の住まいが記されている(家の場所だけでなく、住んでいた時期がわかるといいのだが、それを調べるのはものすごく大変だ)。これほど見ていて飽きない地図はない。
鈴木裕人さんの『龍膽寺雄の本』が届く(装丁は山川直人さん)。前述のように龍膽寺雄は高円寺に暮らしていた時期がある。そのあと中央林間に広大な土地を買い、引っ越した。拙著『古書古書話』(本の雑誌社)の「シャボテンと人間」で龍膽寺雄の話を書いた(初出は『小説すばる』二〇〇八年七月号)。鈴木さんは山川直人さんの漫画に龍膽寺雄が出てきて驚いたそうだ。 「シャボテンと人間」にも書いたが、久住昌之原作、谷口ジロー絵『孤独のグルメ』(扶桑社)にも龍膽寺雄らしき人物が描かれている(名前は出てこない)。龍膽寺雄はシャボテン(サボテン)研究者としても知られていた。
高円寺にいた昭和の作家ではわたしは新居格のことを追いかけている。新居格を知ったのは龍膽寺雄の「高円寺時代」という作品だった(『人生遊戯派』昭和書院)。
《その頃マルクシズムを標榜するプロレタリア派にも与せず、私たち新興芸術派にも与せず、アナーキストを名乗って独自の立場をとりながら、豪放磊落にして洒脱な風貌で一つの地位を保っていた評論家の新居格も、中央線沿線に住んで異彩を放っていた》
二人の共通点では自宅もしくは近所の喫茶店を“サロン”にしていたことだろう。一九三〇年代のはじめ、若き文学者たちは龍膽寺雄や新居格に会うため高円寺に訪れていたのである。