2020/09/09

私小説風

《戦時中の中学時分に上林暁氏の短篇集にふと眼をとおし、たちまち馴れて、他の作品集を買い漁り、耽読したことがある。変哲もない日常の時間を確かに在る時間に仕立てあげる作者の腕前のせいであることはもちろんだけれども、私は性のいい知人を知り得た気になり、書物の上での交際をやめることができなかった。後後まで上林暁氏のお名前を活字で見るたびに眼が和んでくる。同じようなことが木山捷平氏にもあった》

 色川武大著『ばれてもともと』(文藝春秋)の「風雲をくぐりぬけた人」の冒頭の一節である。上林暁と木山捷平の小説が好きだった作家といえば、山口瞳もそうだ。

 先月から大岡昇平の『成城だより』を読んでいる。私小説風の味わいがある。三巻目では『堺港攘夷始末』(中公文庫)の執筆中の話が綴られている。

《堺出身の河盛好蔵氏に電話、堺町は紀州街道と高野街道分岐点にて、高野山の門前町と考えられたることあり。大小路東方、大仙陵側の大和街道を出て、南に分れしや、それとも町の南方にて分れしやを質問す(古地図には両道あり)》

『成城だより』のこの記述はまったく覚えてなかった。とりあえず付箋を貼る。大和街道は奈良街道(長尾街道)のことか。街道名はややこしい。昨年秋に奈良の山の辺の道を歩いた後、大阪の街道のこともすこし調べた。
 明治初期の堺県は奈良が編入されていた時期もある。堺は何度か行ったことがあるが、街道を意識して訪れたことはなかった。大阪に行きたくなる。

『成城だより』三巻の続き——。

 《読者の活字離れすすみ、今年純文学作品の売行落ち込みは春秋の二段階あり。事態深刻なり、という。つまり現象的にいえば、これは出版社の経営的決定にかかわり、文学者がかれこれいってもはじまらぬ問題である》

 《文学者としての問題は、そのようなことにはなく、このような事態に起り勝ちな世態風俗への迎合的傾向にあろう》

 大岡昇平、一九八五年十二月十日の日記である。