八月末、「街道文学館」と「半隠居遅報」を更新。『中年の本棚』増刷決まる——。
仕事でつかっているメールソフトが不調。送信はできるのだが、受信はできたりできなかったり。旅行用の予備の軽量パソコンでメールをチェックする。
火曜日、JRお茶の水駅から神保町。文学展パンフ『野間宏と戦後派の作家たち展』(神奈川近代文学館、二〇〇一年)などを買う。『野間宏と戦後派~』は年表がいい。『成城だより』の二巻目を読んでいたら、大岡昇平は、岸井良衞と青山学院中学部時代の同級生だったことを知る。岸井良衞の『五街道細見』(青蛙房)、『東海道五十三次』『山陽道』(いずれも中公新書)は街道研究では欠かせない本だ。
神保町から九段下にかけて古本屋めぐり。街道本を探す。西岡義治著『みちのくの宿場を歩く』(新樹社)を買う。この本は知らなかった。大人の休日倶楽部に入会したら、東北の街道を歩きたいのだが……。東北の街道といえば、古山高麗雄も七ヶ宿(たしか父方の郷里)の話を書いている。七ヶ宿は十年以上前にすこしだけ歩いた。さらに九段下から市ケ谷まで歩き、市ケ谷から四ツ谷駅まで外濠公園の遊歩道を歩く。歩きながら考えていたのは、これから何をするか(しないか)だ。五十歳になって以降、そのことばかり考えている。
色川武大著『引越貧乏』(新潮文庫)の「暴飲暴食」で昨年五十歳になった「私」が同い年の病院の副院長に語った言葉が頭をよぎる。
《「一生というものが短すぎます。私などはやっと今、プロローグの段階が終って、これから仕事でも遊びでも本格的にと思ったら、もう残された時間がすくなくて、何をするにも時間制限が気になります」》
四十歳のときのわたしは今ほど「残された時間」のことを考えなかった。むしろ考えないようにしていた。『引越貧乏』の話は『中年の本棚』にも書いた。もともと「五十歳記念」の題で刊行が予定されていた本である。五十歳のときに読むと格別の味わいがある。もちろん五十歳でなくても読んでほしい。
車の通らない道を歩くのは気分がいい。お茶の水から四ツ谷まで寄り道しながら歩いたところ、まだ八千歩くらい。高円寺に帰って、スーパーなどで食材その他の買物をしているうちに一万歩になった。