2021/10/16

自由とは

 すこし前に荻窪の古書ワルツで田村隆一著『もっと詩的に生きてみないか きみと話がしたいのだ』(PHP研究所、一九八一年)を買った。立ち読みしていて、いくつか読んだことのある文章があったので「ひょっとしたら持っているかも」と迷ったが、装丁に見覚えがない。家に帰って未入手本と判明した。

「本をめぐる対話 斎藤とも子君と」の初出は一九八〇年九月。同じ名の女優(近年、新聞雑誌では「俳優」と書かないといけない)がいる。一九六一年生まれ。斎藤とも子は「十七歳」「高校二年」と語っている。たぶん本人だろう。
 田村隆一は「本をめぐる対話」の一冊にスタンダールの『パルムの僧院』を取り上げている。太平洋戦争前夜、年上の友人たちは兵隊になり、命を失った。日本が戦争に敗けそうになり、大学生の徴兵延期が廃止され、昭和十八年に田村隆一も兵隊になる。そんな話をして——。

《斎藤 ああ、そうなんですか、学徒動員で。
 田村 (笑)で、しようがなくてねえ。それでまあ、せいぜい畳の上で本が読めるってのは、わずかな時間だと思いましたしね。とくに日本の軍隊ってのは、いろんな先輩から話を聞いてると、たいへんなところらしくてね、とにかく畳の上で自分の好きな文学の本読めるなんてのはね、もう最後の唯一の自由なんですがね、それもだんだん迫ってきて、しようがなくて、どういうわけだかなあ、スタンダールの小説、また読み出してね。で、兵隊に行くまえの晩までこの『パルムの僧院』読んでて……》

 しかし『パルムの僧院』は途中までしか読めなかった。

《田村 ところが不思議なもんでね、まあ、不思議と命ながらえて、敗戦で、生き残ったんですけどね。どうもその中絶したところから読み出す気になれなかったですね。そのままついうっかり三十何年たっちゃってね。あなたに会ったおかげで、そのつづきをこれから読もうとおもって……。
 斎藤 フフフ。私もまだ、ファブリスが、恋人のクレリアとめぐり会うところまでしか読んでないんですけど》

『パルムの僧院』は、生島遼一や大岡昇平訳が有名だが、戦中、田村隆一が読んだのは齋田禮門訳か。戦時中、畳の上で好きな本を読む。若き日の田村隆一にとって、それが自由であり、贅沢だった。すくなくともそういう感覚はわたしにはない。今のわたしは「老眼で字がかすむ」「目が疲れた」と心の中でしょっちゅう愚痴をこぼしながら本を読んでいる。

《田村 フフ、でも、いま……なかなかねえ、人間の自由っていうのは、これ、不思議なもんで、ほんとうに不自由にならないと自由ってのはわからないところもあるんですねえ。あまり、こう自由ってものがね、こう空気のようにいつでも周りにあるとね……。
 斎藤 あると……。
 田村 うん、やはり自由ってものが目に見えてこないわけ》

 この一年数ヶ月、コロナ禍を経験し、自由がちょっと見えた気がする。
 深夜日付の変わる時間あたりにふらふら飲み歩く。仕事帰り、神宮球場にふらっと寄る。ライブハウスで友人のバンドを見る。それまで当たり前にやっていたことができなくなった。
 営業再開した知り合いの店でウイスキーの水割を飲んだ。家でも同じ酒を飲んでいるのに「いやー、うまいな」と。戦争に比べれば、新型コロナの緊急事態宣言なんてたいしたことではないが、それなりに不自由を知ることができた。

 そのうち日常が戻って、いろいろ忘れてしまうのだろう。それはそれでよしとしたい。