急に寒くなる。やる気が出ない。しばらくは低気力でどうにかやりくりするしかない。
気力の回復には休息や睡眠が大切なことはいうまでもないのだが、ただ歩いて風呂に入って酒飲んで寝るだけの一泊二日くらいの小旅行がしたい。今はその気力をチャージしているところだ。
新刊、田中ひかる編『アナキズムを読む』(皓星社)に「のらりくらりの哲学」という文章を書いた。新居格の随筆に触れながら、自分のアナキズム観を述べたつもりなのだが、一人だけやる気がなくて浮いている(沈んでいる)かも——と心配していた。
《アナキズムについてもそれが正しいという前提に立たないことが重要だと考えている》
わたしが書きたかったことはこの一文に尽きてしまうのだが、そういえるまでに三十年くらいかかった。
同書の斉藤悦則さんの「経済の矛盾を考察し軽やかな社会変革をめざす」はプルードンの思想の根幹部分について次のように説明している。
《ものごとの内部の相反する二つの面(善と悪、あるいは肯定面と否定面)の対立を、プルードンは矛盾と呼ぶより「アンチノミー」と呼びたがるのも大事な点です。それは二つの面がどちらも等しく存在理由があり、ともに必然であると言いたいからです。良い面だけを残して、悪い面のみを除去することはできない(マルクスはこれを誤解したうえでプルードン批判を展開した)。矛盾をなくせば永遠の幸せが訪れるという思想は怪しい、とプルードンは考えます》
わたしもそうおもうのだが「社会をよくする=悪い面を除去する」と考える人は多い。
「アンチノミー」は日本語では「二律背反」と訳されることが多い。世の中は矛盾だらけなのが常態であり、善の中にも悪があり、悪の中にも善があるなんてことは珍しいことではない。
万人共通の理想はない。それゆえ理想を旗印にした争いに終わりはない。その矛盾をどうするか……ということは、アナキズムにかぎらず、様々な思想および社会運動の課題だろう。
柔軟性を失い、変化を止めてしまった思想はだいたい十年か二十年で消える。
話は変わるが『望星』十一月、特集「詩のない生活」に「鮎川信夫雑感 詩を必要とするまでに」というエッセイを書いた。『望星』は「いとしの愛三岐」「続・愛しの愛三岐」など、この四、五年かなり読んでいる雑誌である(連載陣も坂崎重盛さんをはじめ、好きな書き手が多い)。今回、詩の特集の依頼ということもあって、頑張って書いた。これまで何度となく鮎川信夫のことを書いてきたが、今のところ一番出来ではないかと秘かに自負している。