夕方神保町。午後五時すぎでもう薄暗い。冬が近づいている。そろそろコタツの準備を考える。
行きと帰りの電車で『何年ぶりかの朝 八木義徳自選随筆集』(北海道新聞社、一九九四年)を読む。本書に「作家の姿勢」という随筆がある。
八木義徳は原稿執筆中に悪寒に襲われる。熱を計ると三十九度六分。しばらく静養していると野口冨士男からこんな手紙が届く。
《高熱を発せられたご様子、いけませんねえ。自身の方法が最善だなどと主張する気は皆無(六回も七回も書き直すんですから、むしろ最悪ないし最低かも)ですが、馬券の一発勝負より日掛け貯金のほうがアンゼンなことだけは間違いありません。(中略)なにか今とは別の方法を考えないと大変なことになりますよ。病気は何度でもするけれど、人間は一回しか死なないという言葉、肝に銘じてください。(後略)》
引用した手紙の「(中略)(後略)」は八木義徳自身によるものである。「作家の姿勢」の初出は一九八八年十月二十二日(北海道新聞夕刊)。八木義徳は一九一一年十月二十一日生まれだから、七十七歳のときの随筆だ。今日、生誕百十年。
『八木義徳 野口冨士男 往復書簡集』(田畑書店)には八木が高熱を出したことを伝える野口宛の手紙(九月十二日)は収録されているが、その返事(野口発、九月十五日過ぎ)は「逸失」とある。
「作家の姿勢」の引用部分は野口発の「逸失」した手紙の可能性が高い。
八木義徳は野口からの手紙を次のように解説している。
《ここで野口のいう「馬券の一発勝負」というのは、仕事の締切りがギリギリに迫ったところで、半徹夜つづきで一気呵成にやっつけるという私のやり方のことで、「日掛け貯金」というのは、締切りの期限にまだ余裕のあるうちに、ともかくも机に向かって一日に二枚でも三枚でも着実に書き貯めて行くという野口自身のやり方のことである》
八木はできれば野口のやり方で執筆したいが「どうしてもそれが出来ない」。そして「馬券の一発勝負」派、「日掛け貯金」派の二つの流儀は「作家それぞれの資質の問題」だと……。
野口の手紙は「自身の方法が最善だなどと主張する気は皆無」と断っているとおり、八木の方法を否定しているのではなく、八木の体の心配をして書かれたものだ。
「作家の姿勢」はそう簡単に変えられるものではない。その姿勢は作風とも切り離せない。
……わたしは八木義徳の随筆を読み、「日掛け貯金」派を目指すことにした。