2022/03/19

現実

 十六日深夜の福島県沖の地震で床に積んでいた本が崩れた。本棚の上に積んでいた本も落ちた。
 東日本大震災の数ヶ月前にマンションが水漏れした時、工事に来た人から「今すぐ本棚を固定しなさい」といわれた。すぐ実行した。二十年ちょっと前、寝る部屋の本棚を腰の高さのものに変えた。阪神・淡路大震災を経験した人に注意された。こちらもすぐ実行した。

 寝床の近くで崩れた本に吉田健一著『甘酸っぱい味』(ちくま学芸文庫、単行本は新潮社、一九五七年)があった。
 一九五七年の熊本日日新聞の連載随筆をまとめた本である。すこし前に紹介した河盛好蔵著『明るい風』(彌生書房、一九五八年)も熊本日日新聞の連載だった(吉田健一の連載の一年後)。吉田健一は一九一二年生まれ。連載時は四十五歳。

《釣りをしている人間を見ると、それが本職の釣り師でなければ、我々はその人間が暇人だと思う》(「現実」/『甘酸っぱい味』)

 釣人を貶しているわけではなく、小説家もそういう風に見られるようになったほうがいい——というのが吉田健一の考えである。

《我々が慌てている時は何も眼に留らず、それで何か一つのことに注意が行くと、もうそれでものを考える余裕がなくなる》

《時間が流れて行くのを乱そうとする時に、我々の心も平静を失う》

 意識した途端、自分が見たい「現実」しか見えなくなる。禅問答というか、哲学というか。

 二十代のころ、経済関係の業界紙で働いていたころ、古本を読んでいたら「現実を見ろ」と説教されたことがある。わたしにはわたしの「現実」がある。だから「何いってんだ、こいつ」としかおもえず、仕事をやめた。当時、上司だった人からすれば、困った部下だったにちがいない。

 会社に勤めている人は会社の、フリーランスはフリーランスの、無職は無職の「現実」がある。あらゆる「現実」は細分化する。だから議論や論争は、お互い、別々の「現実」をすり合わせるところからはじまる。そのすり合わせをすっ飛ばした言い争いになりがちなのも「現実」だ。

『甘酸っぱい味』の「思い出」もよかった。この話もいつか紹介したい。