尾崎一雄の「私の中の日本人 基廣・八束」(『単線の駅』講談社文芸文庫、二〇〇八年)は、祖父と父の話——。初出は一九七四年。
祖父・基廣は「一口に言えば、頑固爺であった」。孫にたいしても「理不尽な怒り方」をし、雷のような声で怒鳴りちらした。いっぽう父・八束は「模範的封建紳士」でストイックな人だった。
《悪気なしの失敗を頭から叱り飛ばす、ということを父は絶対にしなかった。「今度から気をつけよ」と言った。が、同じ失敗を繰り返すと叱った。叱ると言っても、怒鳴りつけることはなかったし、いわんや手を上げることは決してなかった。「温厚の底に憤りをたたえ」と私は父の表情についてよく書くが、その顔つきで、こっちの眼を直視する。それが実に怖かった》
子どものころの尾崎一雄は怒鳴る祖父よりも静かに怒る父を怖れた。その後、厳格な父に反発し、文学に傾倒した。尾崎一雄の父は一九二〇年二月に満四十七で亡くなったが「七十四の私は、自分より『大人』だったという感じを未だに持ち続けている」と綴る。
《私は、基廣とも八束とも違った人間になった》
理不尽に怒る人にはなりたくないとおもいつつ、「温厚の底に憤りをたたえ」という人も近くにいると息苦しくなる。たぶん、ほどよくいい加減に生きるというのがよいのだろう。