2022/03/28

明るい風

 散歩のついでに古本屋に行く。今のわたしは歩くことのほうが優先度が高い。どこに行くか決めずに歩く。体にまかせる。といいつつ、だいたい同じようなコースを歩いてしまうのだが、それもまたよし。

 先日買った福原麟太郎著『春のてまり』(三月書房、一九六六年)——「三書三様」と題した随筆で河盛好蔵の『明るい風』(彌生書房、一九五八年)を取り上げている。

《河盛さんという人は、まことに話題の豊富な人であるが、こんど出た随想集『明るい風』も文学、政治、社会、流行、フランス、教育、読書、旅行、あらゆる人生の面を語って、しかも、変痴奇論というものが全くなく、静かな有益な座談である。人間修業のできた人の話というか》

 ——初出は日本経済新聞(一九五八年十一月十七日)

『春のてまり』を手にとったのは『明るい風』に導かれたのかもしれない。本を買うときの主体が自分になく、読んだ本に操られているような気分になることがよくある。一九五八年の随筆を今読む意味——なんてないわけだが、すこしずつ自分の知らない時代の断片みたいなものを知る面白さはある。

 四十前後、読書低迷期に陥ったとき、読んでも読まなくてもいいくらいの気持で背表紙の雰囲気だけで本を買っていた。『明るい風』は旅先の盛岡の古本屋で買った。

《私自身は決して明るい人間ではない。性格も気性も、どこか陰にこもったところがある。(中略)私はこの自分の性格を久しく持てあましていた》

《他人の心を明るくするような才覚は、もとより自分には恵まれていないが、せめて自分だけでも鍛え直して、社会や人間をできるだけ意地の悪い、狭い目で見ないように努力しようと志した》

——『明るい風』冒頭の言葉である。

 同書の「進学と就職」ではこんな話を書いている。

 小学六年生のころ、河盛好蔵のクラスに何をやらせても優秀な生徒がいた。しかし家が貧しく、中学に進学することができず、近所の金物屋で丁稚として働くことになった。当時(大正初期)、地方の小都市の中学校への進学率は二割くらいだったとふりかえる。

《自分より何でもよくできる友人が、自分と同じく中学校へ行けないことが、気の毒というより申しわけない気がした》

 河盛好蔵は学問を続けることにたいし、終始、後ろめたさを感じていた。