わたしは慎重な性格である。疲労に敏感である。寝ることを最優先して、ちょっとでも疲れを感じたらすぐ休む。
ところが、中年になると日々の仕事や家事をのんびりやっているつもりでも気づかないうちに疲れがたまっていることがよくある。
不調時は大小さまざまなミスを頻発する(文章に関していうと、誤字脱字が増える)。どうすれば修正能力みたいなものは身につくのか。
高松の福田賢治さんから『些末事研究』(vol.7)が届いた。特集は「場所と私 −私のテンポ−」。同号は福田さんの色がよく出ている。わたしは福田さん、南陀楼綾繁さんとの座談会に参加した。わたしは(創刊号のころからずっと)同じようなことばかり喋っている。でもとりとめもなく考えていたことが、すこしずつ言葉になっていく。言葉にすることで忘れていたことをおもいだしたり、足りないもの、欠けているものが見えてきたりする。
中村勇亮さん(本屋ルヌガンガ店主)の「日々おなじ場所から」の「そんな風に僕は、歩くことで、その土地を好きになることを覚えたように思う」という文章を読み、いろいろなことの学び方に通じるのではないかとおもったが、今は考えがまとまらない。
「移住」できる人、できない人。「同じ場所」にずっと居続けることができる人、できない人。その違いは何か。
人と人もそうだが、人と土地にも相性のようなものがある。