2022/05/04

函と帯

 連休——四月二十九日は西部古書会館、三十日は不忍ブックストリートの一箱古本市に行く。不忍の一箱は三年ぶり。
 新型コロナ対策で二ヶ所の会場で入場制限があった。
 西部の古書展はコロナ禍前の雰囲気に戻りつつある。深夜の高円寺も酔っ払いをたくさん見かけるようになった。

 京都では古書善行堂の一箱古本市。わたしは二箱送った。古本に値段をつけるのも三年ぶり。ひさしぶりだったので本を選ぶのが楽しかった。

 三十代半ばごろ、昭和一桁に刊行されたある詩集を探していた。当時、インターネットの古書店で函付で数万円、函なしの裸本だと四、五千円。函なしでもいいような気もするが、いずれ函付がほしくなるだろう。結局、買わなかった。そのうちどうしてそんなに欲しかったのか忘れた。

 もともと「函が、帯が」と古本を買うタイプではない。単行本が文庫化されると、本の置き場をすこしでも増やすため、文庫を買い直してきた。しかし四十代後半あたりから何度も読み返すであろう好きな本はなるべく良好な状態かつ元の形の本を所有したいとおもうようになった。
 尾崎一雄の『閑な老人』(中央公論社、一九七二年)は旧版の単行本は函付なのだが、函の表裏両面に「山川草木」と印刷されている(装丁は芝本善彦)。そのことに気づいたのはわりと最近である。それまで持っていた本は函がボロボロでパラフィンで補強されていたので、函とほとんど同じ色の薄い緑の字が見えなかった。中の表紙にも「山川草木 一雄」とある。これもよく見ないとわからない(布と同じ色の文字の部分がすこしくぼんでいる)。「山川草木」は尾崎一雄が色紙によく書いていた言葉である。

 読書は知識を増やす、情報を得ること以外に心の均衡や平穏を保つ効果がある。精神衛生のための読書の比重が大きくなるにつれ、美本の所有欲が増した。……同じ本を何冊も買ってしまうことへの言い訳かもしれない。