2022/05/23

社会建設 その三

 橋本治の『たとえ世界が終わっても』は「その先の日本を生きる君たちへ」という副題が付いている。

『たとえ世界が終わっても』の刊行日は二〇一七年二月二十二日。この本が出た三ヶ月後に『知性の顛覆 日本人がバカになってしまう構造』(朝日新書)が刊行されている。

 ほぼ同時期に出た二冊の新書で「大きなものの終焉」(『たとえ世界が終わっても』)、「『大きいもの』はいつまでもつか」(『知性の顛覆』)と同じテーマが語られている。

 経済圏は大きければ大きいほどいいという時代は終わった。国土だって大きればいいというものではない。

《「でかけりゃいい、なんとしてでもでかくありたい」という、揉め事を惹き起こすだけの厄介な考え方は今でもまだ生きていて、ソ連邦を消滅させてしまったゴルバチョフは今のロシアではまったく人気がなく、「どういう手を使っても大国ロシアの威勢を復活させる」という独善的な大統領プーチンの人気は高いという》

 現在の価値観では「大国」の条件は「経済力」と切っても切り離せないが、「ロシアでは、このことがよく分からないらしい」。

《大昔の「大国」は、領土の広さで表された。やがてそれが、広い領土を獲得し維持するだけの強さ——軍事力の大きさが指標になり、その先で「経済力の大きさ」に取って代わられる》

 ソ連が崩壊した時期(一九九一年末)にEUが結成されるのも時代の指標が「経済力の大きさ」に変わったことと関係する。
 そして日本は後に「バブル」と呼ばれる時代が終焉を迎えた。

 この問題、ちょっと自分の手に負えない感じがしているのだが、ざっくりと書き残しておくと、いちおう日本は軍事と経済で世界有数の国になり、いずれも挫折した。
 高度経済成長は、国土を削り、海、川、大気を汚染し、劣悪な労働環境によって成し遂げた一面もある。
 逆に「失われた三十年」は環境や健康が改善された時代でもある。

 戦後は軍事から経済へ。バブル崩壊後は経済から健康に目標が変わったと考えると今の状況は(不本意な面はあるにせよ)理想通りといえなくもない。軍事も経済もアメリカに敵わないが、健康なら負けていない。

 日本のわるい癖はやりすぎてしまうことでほどほどにおさまらない。

「その先の日本」について考えるのであれば、「健康大国」の次——気楽に生きられる社会の建設ではないか。豊かさの質も時代とともに変わる。もちろん健康を損なわなくてすむためには経済力が必要であることはいうまでもない。

(……続く)