年をとると筋肉痛もそうだが、旅の疲れも二日後あたりにどっと出る。二〇二〇年のはじめごろから、新型コロナの影響もあって、どこかに行ってもなかなか遊んだ気分になれなかった。移動の疲れが回復し、日常に戻るまでのふわふわした感覚は心地いい。
五日(日)の夜はホテルに戻ってすぐ熟睡した(帰り道の記憶がおぼろげだ)。六日(月)、午前六時すぎに目がさめる。午前六時四十分、京阪三条駅から地下鉄の東西線、京阪京津線を乗り継ぎ、びわこ浜大津駅へ。駅の近くで路面電車になる。京津線に追分駅がある。山科追分(大津追分)は東海道と伏見街道(大津街道)の追分。山科追分は髭茶屋追分という呼び名もある。街道関係は名称がいろいろあってややこしい。
午前七時十三分、びわこ浜大津駅から京阪石山駅へ。ここでJRの石山駅に乗り換え、米原駅へ。雨は大降りと小降りをくりかえす。米原市内に行きたい宿場がいろいろあるのだが、雨の街道歩きは危険と考え、電車での移動を楽しむことにする。
米原から大垣を経て午前九時二十二分岐阜駅着。名鉄に乗り換え、名鉄岐阜駅から豊橋まで行く。雨だけでなく、風も強くなってくる。天気がよければ、途中下車して東海道の赤坂宿か御油宿あたりを散策しようとおもっていたのだが……。
二十代のころは新幹線にほとんど乗らず、在来線や私鉄を乗り継ぎながら移動することが多かった。移動そのものが楽しかった。そのころの感覚をちょっと思い出す。
午前十一時すぎ、豊橋駅に到着。雨は小雨だが、すごい風だ。たまたま歩いた商店街が「雨の日商店街」だった(後で知った)。豊鉄の札木駅あたりの田原街道を歩く。豊川を見て、吉田城のあった豊橋公園を通り抜け、豊橋駅に戻る。
JRで豊橋から浜松へ。浜松の金券ショップで小田原までの新幹線の回数券を買う。浜松も雨と強風で歩く気になれなかった。こだまの乗車時間まで駅の構内をうろつく。
こだまで小田原へ。小田急の小田原駅に着いたら特急メトロはこね(北千住行)が止まっていた。メトロはこねは乗ったことがなかったので町田駅までの特急券を買う。座席がゆったりしていて快適だったが、急行と時間がほとんど変わらない(特急料金は六百三十円)。町田駅で途中下車してドトールでアイスコーヒーを飲む。
町田は八王子と横浜を結ぶ街道(絹の道)の宿場町である。昨年の秋にすこし歩いている。
町田駅から新宿駅までの電車、下校時間と重なったのか、学生(高校生?)がたくさん乗っていた。東京から京都の行き来でずっと空いている電車に乗っていたので、それはそれで新鮮だった。