先週、近所の青果店に行ったらジャガイモとタマネギが一袋百円台(小ぶりのジャガイモ十個、小ぶりのタマネギ五個)で買えた。高騰していた野菜の値段も落ち着いてきたか。
高円寺は北口南口ガード下と縦横無尽に商店街がある。わたしの家からはすこし離れているが、東高円寺(東京メトロ丸の内線)界隈のニコニコロードもたまに散歩する。昔——明治以前は中央線の駅周辺より青梅街道沿いの東高円寺のほうが栄えていた。中野もそう。
一九八九年、十九歳十一ヶ月——二十歳になる直前、東武東上線沿線の下赤塚駅から高円寺のアパートに移り住んだ。二十代の十年は更新のたびに高円寺内を引っ越した。三十代は二度、高円寺内で引っ越した。四十代以降は自宅の引っ越しをしていない。ただし仕事部屋として借りていた風呂なしアパートが取り壊しになり、引っ越した。
引っ越し回数は年を経るにつれ、少なくなっている。
同じ町に住み続ける人生、転々といろいろな町に移り住む人生——どちらかしか選べない。
最初はなんとなく三十歳くらいまで高円寺で暮らしたいとおもっていた。三十歳になるかならないかの時期、京都に引っ越そうと考えたこともあった。結局、高円寺に住み続けた。どこにいても似たような生活をしていた気もする。一つの町にいることは自分の思考にも少なからぬ影響を及ぼしている。二十代のころは高円寺が自分の町という気持は希薄だった。三重から上京して様々な偶然が重なってここにいるにすぎない。三十年以上、同じ町に住んでいると自分が選んだ、選び続けてきた結果ここにいると受け容れるほかない。
京都とまではいかなくても三十代のころに都内のどこか別の町に移り住んでいたら自分の書くものも変わっていたかもしれない。人間関係も変わっただろう。こんなに長く高円寺に住むとわかっていれば、リーマンショックの後くらいに中古のマンションを買っていれば……といった考えが、頭によぎる。これまで払ってきた家賃を計算するとむなしくなる。
五十代、終の住み処について考えてもおかしくない年頃である。この先も同じ町に住み続けるのか、それともどこか別の町に引っ越すのか。わからないから先送り。