2022/06/08

乗り継ぎ旅 その三

 五日(日)、午前十時すぎに郷里の家を出る。亀山駅まで行ってJRで京都に行くか、近鉄特急で行くか。悩んだ末、近鉄にした。

 近鉄特急は白子駅(鈴鹿市)からも乗れるが、津のあたりまでは急行とそんなに時間が変わらない。伊勢中川駅(松阪市)まで急行で行って途中下車し、すこし町を歩く。コロナ禍前までは鈴鹿と京都の間の旧街道をあちこち歩いていた。何年か前に伊勢中川駅を散策したときは、旧初瀬街道を歩いた。わたしが郷里にいたころ、伊勢中川近辺は一志郡だったが、二〇〇五年一月に松阪市に合併——。三重県内の市町村合併事情に追いつけていない。

 伊勢中川駅から近鉄丹波橋まで特急で行く。丹波橋で京阪電車に乗り換える前に駅のまわりを三十分くらい散歩した。財布の中身が二千円くらいになっていたので近鉄の丹波橋駅構内のゆうちょのキャッシュディスペンサーでお金をおろす。古書善行堂に行けば、先月の古本市の売り上げを受け取れる予定だが、さすがに二千円では心もとない。
 古本市には大きめのダンボールで二箱出品したが、部屋の本が減った感じがしない。仕事部屋の床積みの本をあと三列ほど減らしたい。

 三重と京都の行き来するさい、近鉄と京阪の丹波橋駅でしょっちゅう乗り換えているのだが、よく知らない町である。乗り換え駅で駅の外に出るのは面白い。
 午後三時ちょっと前に京阪三条駅に到着する。宿に行く前に六曜社の地下で珈琲を飲む。そのあと三条のホテルにチェックインし、一休みする。当日になるまでどんな部屋になるかわからない訳ありプランだが、三千円台(京都駅前でもそのくらいの値段のホテルがたくさんあった)。三重への帰省を考えていたとき、『些末事研究』の福田賢治さんが京都に行くと聞き、「だったら夜飲もう」と……。

 夕方四時半くらい、三条からバスで錦林車庫、ホホホ座の浄土寺店に寄り、古書善行堂へ。“古本”の自著にサインする。『岡田睦作品集』(第二版、宮内書房)を購入する。京都に行ったとき、善行堂で買いたいとおもっていたら、初版はあっという間に売り切れ。今年三月に増刷された。
「一月十日」(『群像』一九九七年二月号)という短篇の冒頭の文章がよかった。

《“序論”のボク、といわれている。
 自分でも承知しているつもりだが、ジンム、スイゼイから始めないと気がすまない。
 いきなり、結論をいう。そうして、あとからいきさつを述べる。このタイプが大方には好まれているようだ。
 だが、私にはできない。性分なのだろうか。それでいて、“本論”はたったの二、三行ですんでしまう》

 二十五年前の文章だが、そのころから結論を先に書けという風潮はあったのか。わたしも書き出しだらだら派なので編集者によくそのことを指摘されていた。“序論”というか、書き出だしでどうでもいいことを書く作家が好きなのだが……。梅崎春生や古山高麗雄の短篇や随筆も朝起きるのがつらいとか寒いとか、愚痴からはじまる作品がけっこうある。

 善行堂でいろいろ話をしたあと、歩いてまほろばへ。この日、恵文社一乗寺店で山田稔さんと黒川創さんのトークイベントがあり、その打ち上げの会場がまほろばだった。福田賢治さん、扉野良人さんもイベントに行っていた。打ち上げ後にどこかで合流しようとおもっていたのだが、わたしが携帯を持っていないこともあって、混ぜてもらうことになった。数年ぶりに会う人がたくさんいて顔を出してよかった。

 夜九時ごろ、大阪に行っていた世田谷ピンポンズさんと六曜社(この日二度目)で福田さんといっしょに待ち合わせ。世田谷さんとは先週高円寺のコクテイルとペリカン時代で飲んだばかり(酔っぱらって喋りすぎた)。扉野さんは銭湯に行った。