日曜日、西荻窪・なずな屋の「文壇高円寺の古本棚」に補充してきました。今月から棚が二段になりました。
*
尾崎一雄の『沢がに』(新潮社、一九七〇年刊)の中に「運ということ」という随筆がある。
関東大震災のすこしあと、大学時代の友人の山崎剛平、中林康敏といっしょに日本中を旅行しようという話になった。尾崎一雄はそんなお金があったら酒が飲みたいといって断った。
しばらくして山崎、中林の二人は東北、北海道、樺太を旅行した。
そして二人が乗る予定だった樺太から北海道に帰る汽船が小樽港外が沈むという事件が起こる。ほとんど生存者はいなかった。
ところが、二人は無事だった。
中林が宿に写真機を忘れて取りに戻ったおかげで船に乗り遅れたのである。
《現在彼らは、それぞれ家郷にあって悠々と自適している。それにしてもその旅行に私が加わっていたら、運命はどう展開したか判らない》
船に乗り遅れて助かる人もいれば、逆にたまたま予定してなかった船に乗ってしまった人もいる。
今、無事に生きているということは、自覚の有無にかかわらず、そうした運不運をのりこえてきているといえる。
運に関していえば、かならずしもその人にとって予定通りにいくことがいいとはかぎらない。何が幸いし、何が災いするのか、わからない。
しくじったり、ついていないことが続いたりしたとき、ひょっとしたら、そのおかげで知らず知らずのうちに命拾いしたかもしれないと考えると気休めになる。
「今日何するか、明日何するか」
そういうことが決められない不安定な生活をしていると、偶然に左右されやすい。
最近、予定にしばられすぎている気がする。
予定に合わせた生活だと変化がすくない。
もうすこし運まかせの生活を送りたい。
2011/02/05
冬の俺
過去三年の一月から二月のブログを読み返し、冬の自分の傾向を分析してみた。
2008/02/04
充電
日曜日、雪。昨晩、カレーを作る。食事の心配もないので一日中家にこもる。一歩も外に出なかった。寝てばかりいた。いつものことだが、寒くて、からだが動かん。以前はこういう何もしない日があると、「ああ、なにやってんだ」と気持が沈みがちだったが、最近は、おもいきり休むことの効能を実感し、布団の中で心ゆくまで漫画を読んでいたりする。
2009/01/14
明哲保身
寒さに弱く、寝起がわるい。そのかわり睡眠時間はやたら長くなる。酒量も増える。外出するときは、ユニクロのヒートテックの長そでのシャツ(中に半そでのも着る)を着て、防寒仕様の靴をはき、耳まですっぽりはいる帽子をかぶり、さらに腰に温楽を貼って、葛根湯も飲む。文明の力を借りて、どうにかなっているかんじだが、こんな生活をしていたら、ますます脆弱になってしまうのではないかと心配だ。
2010/01/25
怠け癖
最高気温が十度以下になる日は、二時間以上外にいると、かなりの確率で体調をくずしてしまう。
サッカーのカズ選手が休息をとるのも仕事のうちだといっていた。数々のカズ語録の中でこの発言だけはおぼえている。
常々わたしもそのとおりだとおもっていたからだ。
*
以上です。進歩なし。一年のうち、二ヵ月(か三ヵ月)くらい捨ててもいいやと開き直っている。無理をしなくてもいい時間を作るために働いているのかなとおもうことがある。
好不調の波をコントロールできなくても、ゆるく把握しておけば、それなりの対処の仕方がある。
「一、楽にできること」
「二、ちょっと無理すればできること」
「三、かなり無理すればできること」
そのうち調子がいいときは「一」と「二」と「三」をする。
ふつうの調子のときは「一」と「二」をする。
調子がよくないときは「一」だけに専念する。
「一」〜「三」はそのときどきによって変わる。
低迷期には、できないこと、やりたくないことがわかるという効用もある。
2008/02/04
充電
日曜日、雪。昨晩、カレーを作る。食事の心配もないので一日中家にこもる。一歩も外に出なかった。寝てばかりいた。いつものことだが、寒くて、からだが動かん。以前はこういう何もしない日があると、「ああ、なにやってんだ」と気持が沈みがちだったが、最近は、おもいきり休むことの効能を実感し、布団の中で心ゆくまで漫画を読んでいたりする。
2009/01/14
明哲保身
寒さに弱く、寝起がわるい。そのかわり睡眠時間はやたら長くなる。酒量も増える。外出するときは、ユニクロのヒートテックの長そでのシャツ(中に半そでのも着る)を着て、防寒仕様の靴をはき、耳まですっぽりはいる帽子をかぶり、さらに腰に温楽を貼って、葛根湯も飲む。文明の力を借りて、どうにかなっているかんじだが、こんな生活をしていたら、ますます脆弱になってしまうのではないかと心配だ。
2010/01/25
怠け癖
最高気温が十度以下になる日は、二時間以上外にいると、かなりの確率で体調をくずしてしまう。
サッカーのカズ選手が休息をとるのも仕事のうちだといっていた。数々のカズ語録の中でこの発言だけはおぼえている。
常々わたしもそのとおりだとおもっていたからだ。
*
以上です。進歩なし。一年のうち、二ヵ月(か三ヵ月)くらい捨ててもいいやと開き直っている。無理をしなくてもいい時間を作るために働いているのかなとおもうことがある。
好不調の波をコントロールできなくても、ゆるく把握しておけば、それなりの対処の仕方がある。
「一、楽にできること」
「二、ちょっと無理すればできること」
「三、かなり無理すればできること」
そのうち調子がいいときは「一」と「二」と「三」をする。
ふつうの調子のときは「一」と「二」をする。
調子がよくないときは「一」だけに専念する。
「一」〜「三」はそのときどきによって変わる。
低迷期には、できないこと、やりたくないことがわかるという効用もある。
2011/02/03
自宅入院
この数日、ほとんど外出せず、家にこもっていた。
名づけて「自宅入院」。
お金をつかわず、体調を崩す前に体力や気力を回復するために家にひきこもる。
からだを休めるだけでなく、自分の生き方を見つめ直す効用もある。
新刊のロバート・ホワインティング『野茂英雄』(松井みどり訳、PHP新書)を読んだ。
野茂英雄がメジャーリーグに移ったのは、日本のプロ野球の無意味な練習がいやだったから、というのは有名な話だ。シーズン後、肩を休ませなければいけないときに何百球の投げ込みを強いられる。
メジャーの奪三振王のノーラン・ライアンは先発で投げたあとは三、四日休養し、筋肉組織の疲労を回復させる必要があると主張していた。
野茂はライアンの教えを信奉していたのだが、当時の近鉄の監督は、試合がない日もブルペンでも毎日投げろといい続けた。
根性を美徳とする監督は、肩の不調を訴える野茂に「痛みを治すためにはもっと投げろ」といった。その命令を拒否すると、彼のことを怠け者と決めつけた。
イチローもオリックス時代のコーチにバットの握り方を変えろといわれて、拒否したら二軍に落とされたことがある。
おそらく野球に限らず、中学や高校の部活でも、からだを壊した選手がたくさんいたとおもう。ケガをしても走れ、風邪をひいても走れといわれる。
中には過酷な練習に耐え、力をつけた選手もいるとおもう。
また野茂やイチローのように監督やコーチもしくは先輩に逆らって、そのまま干されてしまうケースもあるとおもう。野茂やイチローには有無をいわせないだけの力があったから、通用したやり方なのかもしれない。
かならずしも誰かにとって最適なやり方が、自分に合っているとはかぎらない。これが最適とおもうことを常に疑うことも大切だろう。
その最適は時代によっても変わる。トレーニング理論や環境が整備されていなかったころであれば、酷使に耐えられることが、プロで通用するいちばんわかりやすい目安だった。
いまだにこうした考えは残っている気がする。
「風邪は気合で治せ」みたいなことをいう人がいたら、逃げたほうがいいとおもうよ。
名づけて「自宅入院」。
お金をつかわず、体調を崩す前に体力や気力を回復するために家にひきこもる。
からだを休めるだけでなく、自分の生き方を見つめ直す効用もある。
新刊のロバート・ホワインティング『野茂英雄』(松井みどり訳、PHP新書)を読んだ。
野茂英雄がメジャーリーグに移ったのは、日本のプロ野球の無意味な練習がいやだったから、というのは有名な話だ。シーズン後、肩を休ませなければいけないときに何百球の投げ込みを強いられる。
メジャーの奪三振王のノーラン・ライアンは先発で投げたあとは三、四日休養し、筋肉組織の疲労を回復させる必要があると主張していた。
野茂はライアンの教えを信奉していたのだが、当時の近鉄の監督は、試合がない日もブルペンでも毎日投げろといい続けた。
根性を美徳とする監督は、肩の不調を訴える野茂に「痛みを治すためにはもっと投げろ」といった。その命令を拒否すると、彼のことを怠け者と決めつけた。
イチローもオリックス時代のコーチにバットの握り方を変えろといわれて、拒否したら二軍に落とされたことがある。
おそらく野球に限らず、中学や高校の部活でも、からだを壊した選手がたくさんいたとおもう。ケガをしても走れ、風邪をひいても走れといわれる。
中には過酷な練習に耐え、力をつけた選手もいるとおもう。
また野茂やイチローのように監督やコーチもしくは先輩に逆らって、そのまま干されてしまうケースもあるとおもう。野茂やイチローには有無をいわせないだけの力があったから、通用したやり方なのかもしれない。
かならずしも誰かにとって最適なやり方が、自分に合っているとはかぎらない。これが最適とおもうことを常に疑うことも大切だろう。
その最適は時代によっても変わる。トレーニング理論や環境が整備されていなかったころであれば、酷使に耐えられることが、プロで通用するいちばんわかりやすい目安だった。
いまだにこうした考えは残っている気がする。
「風邪は気合で治せ」みたいなことをいう人がいたら、逃げたほうがいいとおもうよ。
登録:
コメント (Atom)