最近、酒飲んで下書き(手書き)、シラフで清書(パソコン)という執筆パターンが自分には合っていることがわかってきた。
鉛筆、万年筆、いろいろためしてみたけど、この五年くらいパイロットのジェルインクのボールペンをつかっている。楽に書ける。自分の頭の中のイメージにちかい字になる。
替え芯が安く買えるのもありがたい。
たっぷり睡眠をとり、古本屋に行き、喫茶店に寄り、食料を買いこみ、掃除と洗濯をして、レコードを聴きながら、本を読み、料理を作る。
ひさしぶりにのんびりした気がする。
鮎川信夫の『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社、一九六八年刊)を読みかえした。
二十代のころからこういう文章が書きたいと憧れていた。ただ、どうすれば、その域に達することができるのか。そのことをかんがえると途方にくれた。
自分の専門領域ではない問題にたいして、(あるていど大雑把でもいいから)大きく外れない判断ができるようになるにはどうすればいいのか。
鮎川信夫の頭脳はどうなっているのか。
世の中が複雑になっている。昔とは比べものにならないくらい文化が分散している。専門外のことはわからなくても当然なのかもしれないが、それだけではない。何が大事で、何が大事でないか。鮎川信夫はそうした「均衡の感覚」を重視していた。
『時代を読む 鮎川信夫 コラム批評100篇』(文藝春秋、一九八五年刊)の「あとがき」で、「この時代の迷路が、入組んだ壁や紛わしい曲り角でいかに錯綜していても、出口の方向を見失うことはなかった」と述べている。
『一人のオフィス』では、未来にたいして楽観はしたくはないが悲観もしたくないといっている。
鮎川信夫は、シニシズムに陥らないことを自分に課していたのではないかとおもう。安易なヒューマニズム、理想主義を手厳しく批判することはあったが、けっして冷笑、嘲笑はしなかった。
二十代、三十代、迷路の中で文章を書いてきた。
出口の方向を示すような仕事がしたくなってきた。
準備不足、勉強不足をいいだしたらキリがない。
『一人のオフィス』の最終回は「『たしかな考え』とは何か ある知識人にみるゆるぎない知性」というコラムである。
ある知識人とは、津田左右吉のこと。
場所がなくて何年も押入にしまったままの『津田左右吉全集』を出そう。その分の蔵書を整理しよう。
まずはそれから。