たまに批評の意味についてかんがえる。
批評とは何か。
こうした問いにはかならずしも正解があるわけではないが、作品を紹介し、感想を述べるだけではなく、批評する以上、作者の「独創」とおもわれる部分をつかまえることは大事なことではないかとおもう。
「独創」とは何かという問題もある。
ある独創家が、紫色のスープのラーメンを作った。でも紫色のスープはオリジナリティにあふれているが、まずいということがある。独創であれば、いいというものではない。
逆に、一見、ふつうのラーメンのようにおもえても、隠し味にこれまで誰もつかったことがないようなダシがはいっているということもある。批評というのは、ダシの分析のようなところがあるかもしれない。
ラーメンの批評には、そうした微妙な味わいがわかる舌、そのちがいを表現できる言葉が必要である。
そのためにはかなりの量のラーメンを食い、種類を知っていなければならない。
うまいか、まずいか。それにも個人差がある。
こってりしたものが好きな人とあっさりしたものが好きな人がいる。
ラーメンにかぎらず、批評家の好みによって、評価もちがってくる。
好き嫌いをこえて、公平な分析ができるかどうか。
でも公平とは何かとなると、わけがわからなくなってくる。
味、値段、スピードみたいなポイントごとに評価をする方法はあるかもしれない。でも最後は個人の好みや懐事情に左右されるだろう。
批評の能力ということにかぎっていえば、細部の味わい、ちがいに気づくことができるかどうか。
あまり詳しくないジャンルのことは鈍感になる。
音楽にしても演芸にしても、みんな、同じに見えたり、聞こえたりする。
「私小説は貧乏と女と病気の話ばかりだ」
「現代詩は難解だ」
よくそういう「批評」がある。そのジャンルが好きな人にいわせれれば、同じような貧乏話でも作者によってまったく味わいがちがうし、難解におもえる詩でも、その作者のこれまでの作品を読んでいれば、緻密な工夫や仕掛けを楽しむことができる。
細部がわかるかどうか。批評の浅さ、深さはそういうところに出てくるとおもう。
(……続く、かもしれない)