2010/08/05

雑誌の曲り角

 出版不況というのは、若者にお金がまわらないことが問題なのかもしれない。若者にお金がないから、中高年を対象にした本や雑誌が増える。金儲けと健康に関する企画ばかりになる。だから編集者になりたい、ライターになりたいとおもう人がどんどんいなくなる。

 かつての雑誌は情報格差に依存していたところもある。
 大半の読者は、海外の流行を知らない。だったら最先端のアメリカやヨーロッパの文化を紹介しよう。
 中・高生のころ、わたしがラジオの洋楽番組を聞いたり、音楽雑誌を読んだりしたのも、田舎にいて情報に飢えていたからだ。知らず知らずのうちに、いつかは自分も情報を送る側の仕事がしたいとおもうようになった。

 今だって情報の飢えはあるだろう。でもその飢えは、かつてのそれとはちがってきている。インターネットで検索すれば、ただ同然で、昔、中古レコード屋で血眼になって探していたミュージシャンのライブ映像を見ることもできる。

 二十代のころ、エロ雑誌の仕事をしていたことがある。そこでは何を書いてもいいという雰囲気があった。雑誌を買う人は、グラビア目当てだから、中の文章なんかどうでもよかったのだ。すくなくとも、雑誌の売り上げには貢献しない。
 ストリップの合間の漫才みたいなものといえば、わかりやすいだろうか。

 グラビア目当ての雑誌に文章を書く。おもしろいものを書けば、次の仕事につながる。最初は無署名だけど、運がよければ、そのうち署名の原稿が書けるようになる。署名の原稿が書けるようになると、他の雑誌でも仕事がしやすくなる。

 フリーライターの仕事は「仕事があるうちに次の仕事を探せ」という鉄則がある。
 では、最初の一歩はどうするのか。今も昔も、新規参入がむずかしい。
 雑誌の創刊ラッシュのときは、人手が足りないから、実績がまったくない素人でももぐりこむ隙間がいくらでもある。わたしもそうやってこの世界にもぐりこんだ。新刊書店で雑誌を立ち読みしていると「スタッフ募集」みたいな告知が出ている。同じ人が何本も原稿を書いている雑誌、若い書き手の原稿がたくさん載っている雑誌、ふざけたペンネームの書き手が多い雑誌が狙い目である。

 それで運よく、編集部に呼ばれて、仕事にありついても、食っていける保証はどこにもない。
「三号雑誌」という言葉があるように、創刊から三号で潰れてしまう雑誌も多い。雑誌ではなく、出版社が潰れてしまえば、原稿料を貰えないこともある。

 そうなれば、いきなり窮地である。

 長くフリーで仕事をしている人は、何度もそういう目にあっているとおもう。わたしも金に困るたびに、あのときの未払いの原稿料があれば、とおもいだす。
 親が金持で、自宅住まいで家賃と食費を考えずにすむような境遇だったら、とおもうこともある。
 でも三十歳すぎて、収入がほとんどないような状態で親と同居というのは、それはそれでプレッシャーがあるだろう。自分の生活費分はアルバイトで稼いでいたとしても、何かと文句をいわれるにちがいない。

 夢とか憧れとか、そういうのがないとやっていけない仕事にもかかわらず、不況になって、どんどんそういうものが削ぎ落ちてきている。
 そして雑誌の「雑」にあたるようなものも求められなくなってきている。
 誰それの連載を目当てに雑誌を買うのではなく、連載の単行本化を待つ。漫画はすでにその傾向があるが、文章だってそうかもしれない。

 たまたま自分の好きな作家が連載しているから買って、それで知らない作家の文章を読んで、「こんな人いたんだ」というようなことが、雑誌のおもしろさにはあるとおもうのだが、検索でピンポイントで目的地に行き着くことに慣れてしまうと、お金を払ってまで自分で探すのは面倒くさくなる。

 知らないことを知りたいとおもう。その知ることが簡単になっている。
 わたしが古本屋で古雑誌や雑本を探すのは、そこに意外性があるからだ。それこそが雑の魅力だ。
 不便で面倒くさいおもしろさを啓蒙する。
 今、そういうことが雑誌作りに求められている気がする。