2010/08/07

限度の自覚 その六

「あれもしたい、これもしたいとおもっていたのに、時間が経つうちに、これしかできないになってくる」と書いたが、これもまた「限度の自覚」といえるかもしれない。
「これしかできない」になったときに、悩みがなくなるといえば、なくならない。ただ、すこし悩み方が変わる。
 これしかできない自分はどうすればいいのか。それがわからない。たぶん万人共通の答えはない。だからそのつど自分だけの答えを作るしかなくなってくる。

「無謀な野心」と「限度の自覚」の調和点について考えるつもりだったのだが、どんどん話がズレていく。おそらく「無謀な野心」と「限度の自覚」は対立概念ではない。

 中村光夫の「限度の自覚」という言葉は、カミュの「すぐれた芸術作品は、作者の限界の自覚から生まれる」という言葉を意識したものだ。その言葉を受け、中村光夫は「こういう幸運は誰にも恵まれるわけには行かない」とも述べている。

 ひとつのことに打ち込んで、ギリギリまで自分を追い込んだ結果、自分の限界を知る。しかし環境や許さなかったり、時間がなかったりして、そういう経験はなかなか積めるものではない。
 限界に挑むには何より体力がいる。

 二十代のころは、数メートル単位で限度がひろがっていくかんじだったのだが、三十代になると、数センチ単位、四十代になると、数ミリ単位といったかんじになってくる(当社比)。
 気持にからだがついていかない。その逆もある。限度が見える。見て見ぬふりをしても、ごまかせなくなる。こんなことは誰にでもある、珍しいことではない。今おもうと四十歳のちょっと手前くらい、思春期とはちがった形の不安定な気持になることが増えた。

 そんなときに中村光夫を読んで救われた気がした。自分と同じだ、とおもう症状がいっぱい出てくるのだ。新しい小説がわからなくなったり、歴史に興味が出てきたり、これまでの半生をやたらふりかえるようになったり……。
 その症状をすべて肯定するわけではないが、あるていど受け容れて、そのときどきの自分にできることを探すしかない。そんなふうにおもえるようになった。

 同時に「無謀の野心」は持ち続けたほうがいいともおもう。しかし「無謀」を「無謀」とわかるようになると、もはやそれは「無謀」ではない。

(……まだ続く)