四十歳になって読書時間が減った。本を読まなくなった分、酒を飲んでいる。ぼんやりものを考える時間が増えた。三十代のころに本ばかり読んでいたのは、あまりにもひまでその隙間を埋める作業のようなところがあった。本をたくさん読むことが目的化していた。
昔は今よりも情報に飢えていた。情報に飢えている人を相手に雑誌を作ったり、文章を書いたりしていた。
本をどんどん読んでいくうちに、だんだん情報よりも、情緒に働きかけてくるような文章が好きになった。
地味だけど、読んでいて飽きない、飽きないけど、読み返すたびにはっとさせられる作品を好むようになった。
仕事のあいま、古山高麗雄の『袖すりあうも』(小沢書店、一九九三年刊)を読み返す。
《老いて青春の心を失わず、などと言う。気持はいつまでも若い、とか、永遠の青年、だとか、そういう言葉も耳にする。心だとか気持だとかというものは、もともと線の引きようや限定のしようのない得体の知れぬものであるが、世間では何歳から何歳ぐらいまでを青春と言っているのだろうか》(「“非国民”時代の友人たち」)
市ケ谷の城北高等補修学校時代、古山高麗雄は安岡章太郎、倉田博光と知り合った。いわゆる「悪い仲間」である。
古山さんは二浪して京都の第三高等学校に入ったが、すぐ中退し、放蕩し、転落した。ようするに、世の中に順応できなくて、ぐれた。
倉田博光もその影響を受け、“非国民”の道を歩むことになった。
《私は、倉田が、私と共に世間から落伍するのを、歓迎もし、いけないとも思った。そう思いながら私たちは、坂を転げ落ちる自分たちを止めることができなかった》
もし倉田が自分と出あわなかったら、「別の運命のコース」に進んだのではないか。久留米から満洲に送られ、満洲から福山の部隊に移り、フィリピンで戦死するようなことはなかったのではないか。
どれだけの時間、古山さんはそういったことを考えたのだろうか。
幸い、今の人は軍隊に入らなくてもいいし、戦地に送られることもない。それでも若いころの交遊が、その後の人生にすくなくない影響を及ぼしあうことはよくある。
大学時代、自分の周囲では授業を真面目に聞いたり、試験を受けたりするのが、かっこわるいという空気があった。わたしは大学中退し、友人たちも留年したり、就職しなかったり、どこかおかしなことになってしまった。
自分にも友人にも「別の運命のコース」があったのではないか。今さらそんなことを考えてもどうにもならないのだが、過去だけでなく、今だって、そうした岐路にいるかもしれない。