2010/12/05

文化の基盤 その一

 おととい、神保町で打ち合わせのあと、東西線に乗って九段下から中野で乗り換えようとしたのだが、強風のため、JR総武線の中野−三鷹間が運休になっている(中央線は走っている)。
 それで中野から歩いて帰った。
 中野から高円寺までガード沿いをまっすぐ歩きながら、考え事をすると頭の中が整理される。

 この日、電車の中で鮎川信夫の『疑似現実の神話はがし』(思潮社、一九八五年刊)を再読していた。おそらく十数回は読んでいる本なのだが、読み返すたびに、そのときどきの自分にとって、切実なテーマが浮上してくる。

《先ほど僕は「文化の基盤」ということを言ったが、現実との詩人の闘争を考える場合、どんな基盤に立って闘うかが大事である。それがだめだと、どんな天才を持ってしてもどうにもならない。ただそこに存在する、というだけでなく、継続してそこで残されていくものを考えた場合、その基盤がきわめて重要なのである》(「風俗とどう関るか」)

 詩と風俗のかかわりだけでなく、たぶん、鮎川信夫は、そのもっと先の、深い問題を語ろうとしている。
「文化の基盤」という言葉が、その鍵である。しかし、昔読んだときは、ピンとこなかった。

 引用文の前で、次のように語った箇所がある。

《自分の詩については、どんな詩人でも自分の詩が何であるのか、どういう位置でどんな詩を書いているのかを知っていなければならない。創造とは主観的な行為であるとしても、客観的な批評眼をそれに加えてみる必要がある。自分がどんな文化的な基盤に立っているかを知るのは大切なことである》

 鮎川信夫や「荒地」の詩人は、戦前から「新しい詩」を書こうとし、お互いの詩を見つめあい、そこからお互いの作品が連鎖し、「一種の遺産のようなもの」が形成されてきた。そうした「基盤」があるからこそ、今はだめでもいつかそれ以上のものを作ろうという気になる。グループの活動が解体しても、そのつながりは残る。

 これは「荒地」というグループの話ではあるが、映画でも音楽でも漫画でも、発展しながら継承されていくような基盤はあるはずだ。
 中央線文士、鎌倉文士、戦後派、第三の新人、トキワ荘……。
 かならずしも作風や才能の質はちがえど、多くの才能の生み出した「場」の力の存在は疑いようがない。

 当然、例外はあるとおもうが、ひとりで活動しているよりもそうした「場」があったほうが持続しやすいということもあるだろう。
「文化の基盤」があるからこそ持続するのか、持続するからこそ「文化の基盤」が作られるのか、どちらともいえないところもある。

 すくなくとも、持続のためには、自分の位置を知っておく必要はある。

「文化の基盤」には何らかの路線があって、それに沿って走る時期もあれば、あえて脱線を試みる時期もある。逆にそうした路線なくなると、脱線しようにも脱線しようがなく、ひたすら空回りしているような徒労感にとらわれる。

(……続く)