2010/12/26

文化の基盤 その六

 どういうわけでこういう文章を書くことになったのか。動機はいくつかあるが、いずれもぼんやりしている。
「文化の基盤」の話からズレるかもしれないが、自分でもよくわかないような一筋縄ではいかないテーマをひとりで考えていると、「もう手おくれかもしれない」という感慨がわいてくる。十年、二十年とかけて「文化の基盤」にあたる「何か」を瓦解させてしまった。ただし、そろそろ、その揺り戻しがきてもいいのではないか。

『現代詩手帖』の一九七二年の臨時増刊「荒地 戦後詩の原点」の座談会を読んでいたら、鮎川信夫が、次のような発言をしていた。

《鮎川 そういう意味で言うと「荒地」はいろんな人が集まった。これは「荒地」のいちばん大きな特徴だと思う。学校が同じっていうこともない。出身地も違う。地域的なサークルっていうわけじゃなかった。フランス文学もいれば、ロシア文学、ドイツ文学もいれば、イギリス文学もいる。そういう意味で言うとバラバラだった。しかもある程度共通なものを出していけたってことじゃないかと思う。それが文化という……》

「それが文化という……」以降の言葉は、途中でさえぎられてしまうのだが、もうすこし話がすすんだ後に、鮎川信夫、中桐雅夫、三好豊一郎のやりとりの中で、こんな話が出てくる。

《鮎川 僕はほんとうのことをいうと、エリート意識が好きじゃない。「新領土」みたいにまずい詩人でもなんでも、かまわないのでのっける方が、好きなんだ。田村(※隆一)のエリート意識が危なっかしく感じられた。
 中桐 結局、あまり純粋に田村みたいに、いいものばかりさあっと集めてくるとロクなことはない。多少雑なのが入ってこないと、伸びない。
 三好 誰がうまくなるかはわからんからな(笑)》

 中桐雅夫の「多少雑なのが入ってこないと、伸びない」という発言は、そのとおりだとおもった。
「文化の基盤」においても「雑」というか「いいかげんさ」というか「ゆるさ」というものが、大事な要素であると。それがないと、すぐ行き詰まる。実力主義と実績主義の二択だけでやっていくと、未知数のわけのわからない可能性がどんどん淘汰されてしまう。

 この座談会では、田村隆一が後年の酔っぱらい詩人のイメージとちがい、戦後の「荒地」の創刊のさい、紙の仕入れや版元の交渉など、実務に奔走していたという逸話も紹介されている。
 若いころは少数精鋭主義だった田村隆一が、ある意味、「荒地」の詩人の中でもっとも「いいかげんさ」を体現する人物になってしまうというのは、わたしの好きな話である。

(……続く)