年末進行。今週が峠。ようやく半分くらい片づいた。
ちょうど去年の今ごろの日記を読んでいたら「一日十時間ちかく寝ている」とある。
今年も同じだ。毎日寝ても寝ても眠い。寝て起きて原稿書いて酒飲んでいるうちに十二月はすぎていく。
昨日は忘年会(神田)で帰りの中央線で寝てしまい、起きたら吉祥寺。吉祥寺から高円寺に戻る電車でも寝すごし、起きたら中野……。
たしか去年もそんなことがあったような気がする。
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「文化の基盤」は「場」の問題と同時に「教養」の問題でもあるのではないか。
「荒地」の詩人であれば、T・S・エリオットであったり、ダンテだったり、いうまでもなく漱石、鷗外といった日本文学の伝統だったり、そうした土台のもとに、新しい創作に挑んできた。
おそらく「第三の新人」にしても、多かれ少なかれ、何かしらの土台となる「教養」があった。さらに彼らには「戦争」という同時代体験もある。
すくなくともわたしにはそうした土台がない。
古典といわれる作品を読んでこなかったわけではない。ただ、それが自分の中で根づくまでには至らなかったし、今後も至ることはなさそうだ。いっぽう、土台がない中で、何をやってもいいという自由は存分に味わってきた。しかし共有する土台がないため、自分の興味を掘り進めていけばいくほど話が通じなくなる。そして自分の位置を見失う。
それは文学に限った話ではないとおもう。
鮎川信夫著『私の同時代』(文藝春秋)に「文学停滞の底流」というコラムがある。
一九八四年に文芸誌の『海』が休刊し、ほかの文芸誌にしても赤字で、単行本の売り上げでその赤字を埋める状況になっていた。雑誌の赤字は年間一億から二億五千万円。出版社としても道楽だ、趣味だといつまでもこの状況を放置することはできない。
《十万売れたって恥ずかしいような本もあれば、千部でも胸を張れる本がある。だが、今の人は少しくらい恥ずかしくたって、十万部の方を選ぶだろう。社会的影響ということになれば、十万だって人口比で〇・一%にすぎない。本当によい本で、熱心な千人の読者が真剣に読んでくれるなら、その方がよほど本質的な影響力をもつのである》
今、千部の本は膨大な出版物が溢れ返る中では埋もれてしまい、熱心な読者のもとにすら届かない。
「文学停滞の底流」では電波メディアと活字メディアを対比し、情報量やスピードでは活字はかなわないと指摘しつつも、情報の真偽を見分ける力は「書き言葉」のほうが勝っていると述べる。
しかし「書き言葉」の優位性を放棄すれば、文学の地盤沈下はまぬがれない。言葉など信じず、相対主義に安住し、嘘を真実のように言いくるめるのも造作ない。
鮎川信夫が三十年前に危惧していた「文学停滞」はますます進んでいる。
(……続く)