2010/07/27

山田風太郎エッセイ集成

 ここ数日、午前四時前後に集中力が切れる。
 空腹のせいか夏バテのせいかその両方か。
 自分がどんどんだめになっていくような気がする。
 腹が減ると怒りっぽくなる人もいるが、わたしは不安になることが多い。気持を鎮めようと、ひやむぎをゆで、肉と野菜をいっぱいいれたにゅうめんを作る。
 食い終わった途端、ウソみたいに気分が晴れる。杉山平一の「人生は空しい、と思って、ふと気がついてみると、お腹が減っていたということがある」(『低く翔べ』リクルート出版)という言葉に今日も感謝する。

『ちくま』八月号で山田風太郎エッセイ集成の五冊目『人間万事嘘ばっかり』(日下三蔵編)が刊行されたことを知った。これで完結。それにしても、こんなに単行本未収録のエッセイがあったとは……。それをまとめた編者には頭が下がる。感謝してもしきれない。

《よく若い人から職業の選択についてきかれ、そんなとき人生ただ一度、出来るなら好きなことをやれと答えることにしているが、経済の問題もあるからみんながそういうわけにもゆくまい》(職業の選択)

《そうだれもかれもが人迷惑をかまわず、やりたいことをやったら世の中はメチャクチャになるではないかといわれそうだが、なに、大丈夫だ。そう思うだけで、何もやれない人間がこの世の九十九%だからである》(新年の大決心)

《それは逆境の中にあって、私が「したくないことはしない」というやり方で通してきたことだ。
 一見傲慢なようだが、反対だ。「やりたいことをやる」という人々のまねはとうていできないから、「せめてやりたくないことはやらない」という最低の防衛線を考えたにすぎない》(したくないことはしない)

 山田風太郎のエッセイを何度も読みたくなるのは、こういう考えにふれたいからだ。
 やりたいことができるようになるまでの道のりはたいへんだ。そのためにはしたくなくてもやらざるをえないこともある。
 わたしはそれを自分で決めたい。

……最低の防衛線。いい言葉をおぼえた。
 ちなみに明日七月二十八日は山田風太郎の命日である。

2010/07/24

文壇高円寺古書部フェア

 仙台のbook cafe 火星の庭で「活字と自活」出版記念——文壇高円寺古書部フェア(七月二十二日〜八月二十四日)を開催中。

・book cafe 火星の庭  〒980-0014 仙台市青葉区本町1-14-30 ラポール錦町1F

・営業時間:11時〜20時 (日・祝日は19時まで) 定休日/毎週火曜・水曜 

 二〇〇八年七月に「古本の森文学採集」という企画のさい、古本を販売させてもらうようになって早二年。以来、仙台に頻繁に通っている。東京から新幹線だと一時間半。駅をおりた途端、ふと疲れがとれる気がする。からだが軽くなる。なぜかよく眠れる。最初は気候が合っているのかとおもったが、たぶん、それだけではない。

 ふだん不必要に緊張して生きているのだろう。ただ道を歩いているだけでも、人とぶつからないように気をつける。距離をとる。人の流れに自分を合わせる。無意識のうちにそうしている。それほど人口が過密ではないところに行けば楽かといえば、今度は、生活環境がちがいすぎて、別の緊張が生じる。

 仙台は都会だが、東京ほどの過密さがなく、のんびりしている。歩道(並木もきれいだ)が広い。飲み屋がいっぱいあって、食べ物もうまい。ほんとうにいいところだとおもった。というわけで、文壇高円寺古書部フェアの最終日に合わせて仙台に行きます。期間中、補充もどんどん送ります。よろしくおねがいします。

2010/07/23

ちょっと休憩

 子供のころ、毎年夏は海のそばですごした。
 速く泳ぐ方法と長く泳ぐ方法はちがう。昔、浜島育ちのオジに、遠泳のコツは、力を抜いて、楽に泳ぐことだと教わった。
 あと息継ぎは規則正しく一定のリズムで、とも。

 力を抜くことがむずかしかった。力を抜くとすぐ沈んでしまう。でも、いつの間にか、不格好ながら、そこそこ長く泳ぐことができるようになった(速く泳げるようにはならなかった)。

 ある日、突然、何かコツをつかむ。それまではどんなに考えてもできなかったことが、何も考えずにできるようになる。
 もちろん、いつまで経っても、できないことはいろいろある。
 できる、できないを分ける境目みたいなものは何なのかということが気になる。

 力を抜いてばかりいると、やる気がないとおもわれる。力を抜かないと、やる気が続かない。

 行き詰まるたびに力を抜く。だからふんばりがきかない。
 たぶん力を抜く以外にも、いろいろなコツがあるのだろう。

 溺れないことばかり考えていると、そもそも泳がなければいいという気持になってくる。

 脱力もむずかしいとおもう。 

2010/07/22

限度の自覚 その三

 考えがとっちらかっている。「芸術の仕事は、何かの意味で、いい気にならなければ、出来ないものかも知れません」という中村光夫の言葉をもういちど考えてみる。
 三十歳か、そのちょっと前あたりから、いい気になっていられる時間がだんだん減ってきた。
 かならずしも自分が正しいとは限らない。謙虚であることも大切だ。しかし気がねばかりしていると何もいえなくなる。

 中村光夫のいう「無謀な野心」と「限度の自覚」は、芸術の仕事にかぎらず、何か新しいことに挑戦するときにぶつかる問題かもしれない。自分の力を計る能力が発達しすぎると、ひたむきさが失われてしまう。ほんとうは未知数な状態なのに早い段階で限度を自覚してしまうのはもったいない。
 なぜ「無謀な野心」を持つのか。錯覚か。勘違いか。「無謀な野心」は自分の伸びしろを信じる気持もふくまれている。
 今はうまくできないかもしれないけど、きっとできるようになるという根拠のない確信……そういう確信はすごく大事だ。でも大人になるにつれ、そういう確信をもちにくくなる。

 たとえば、店をはじめる。何年も修業し、十分貯金をして、万全な状態でスタートを切れるにこしたことはない。
 自分が好きな店、あるいは好きな店主はそうした計画性があまりない人のほうが多い。
 見切り発車。いきなりピンチの連続。その結果、修羅場をくぐり、しなくてもいい苦労をいっぱいして、あっという間にいろいろなことを学ぶ。

 もちろん、水泳初心者がいきなりドーバー海峡を横断に挑戦しようとすればまわりは止めるだろう。今の自分がどのくらい泳げるのか。もっと泳げるようになるためには何が足りないのか。溺れないためにはどうすればいいのか。そうした試行錯誤をしているうちに「限度の自覚」につきあたる。
 あるとき自分は速く泳げないことに気づく。だったら好きなところを好きなように泳げばいいんだと開き直る。

「無謀な野心」と「覚悟の自覚」の調和点というのはそういう状態なのかもしれない。

(……まだ続く)

2010/07/19

限度の自覚 その二

 中村光夫の回想記を読んで、「考えなければならないこと、あるいは考えすぎてはいけないこと」があると書いた。

 十代、二十代で熟練作家の佳品をいろいろ読んでいるうちに、自分は書けないとおもったり、自分のやっていることが無意味におもえたりしてしまうことがある。

 今は昔よりも情報量が増えて、あっという間に検索でわかる。便利な反面、どんなにマイナーなジャンルであっても、上には上がいることもすぐわかってしまう。

 中村光夫の場合でいえば、同時代に小林秀雄がいた。フランスにいた中村光夫は小林秀雄に長い手紙を書いた。
 何をどう書いていいかわからなくなったときに、尊敬する先輩に手紙を出すような気持で文章を書けばいいのではないかと気づく。その結果、あの「です調」の文体になった。

 誰に向けて書くか。別に特定の個人でなくてもいい。漠然とでもいいから、伝えたいという気持がないと言葉が冷めてしまうような気がする。

 話はズレるが、わたしが二十代のころは「若者を啓蒙しなければいかん」という使命感をもった編集者がけっこういた。
 いつの間にか、そういう考え方は時代遅れといわれるようになった。とにかく売れるものを作らないといけない。

 理想がなくなると、退廃をまねく。
 退廃すると、戦わなくなる。
 何をいっても無駄。仕事は仕事と割りきる。おかしいなとおもうことがあっても、文句ばっかりいってると干される。そうこういっているうちにだんだん無気力になる。

 不毛な戦いをするひまがあったら、自分の好きなことをやったほうがいいのではないかとおもったことがある。
 趣味や生活をないがしろにすると、それはそれで退廃するとおもうからだ。

 昭和十八年、日本の戦況が悪化するにつれ、日常生活がだんだん乏しく、不潔で、不便になっていった。
 中村光夫は、そうした生活にだんだん馴らされ、むしろ当り前のようにおもうようになったという。

《そのくせ一杯の酒、一碗の飯にもがつがつし、身体から脂気や力がぬけて、芯から働く力がなくなり、なるべく怠ける算段をするという風に、国全体がどことなく囚人の集団に似てきました》(窮乏のなかで/『憂しと見し世』)

 戦時中ほどの窮乏ではなくても、先が見えず、まったく成長の感覚が味わえない仕事をしていると、「芯から働く力」がなくなってくる。

 今、そういう職場、増えているのではないか。
 でもそこから抜け出したところで、そう簡単には食っていけない。

(……続く)

2010/07/17

限度の自覚 その一

 ふと中村光夫、来年、生誕百年だということに気づく。一九一一年二月五日生まれ。
 この何年か、中村光夫の『今はむかし ある文学的回想』、『文学回想 憂しと見し世』(いずれも中公文庫)をくりかえし読んでいる。
 たんなる趣味や教養をこえた、大事なことが書いてあるような気がするのである。今の自分が考えなければならないこと、あるいは考えすぎてはいけないことが……。

 戦前戦中の文壇において、中村光夫は日本の戦争と関係ない文章を書いていた。当時のことをふりかえり、「芸術の仕事は、何かの意味で、いい気にならなければ、出来ないものかも知れません」という。

 そしてそのころの作品には、若くなければ書けない、ひたむきなものがあったと分析している。

《書きたいという欲求だけで、作品が出来るものではない以上、力の配分は、スポーツの試合におけると同様、芸術の制作に重要でしょう。
 しかし自分の力を計る能力が発達すると同時に、制作の野心が減退することも事実です。芸術家の幸福とは、無謀な野心の適宜な衰えと、限度の自覚による能力の充実とが、ちょうどある調和点に達したとき、決定的な制作の機会に恵まれることです》(「文学界」と「批評」/『文学回想 憂しと見し世』)

 目の前の仕事と将来の仕事、どちらも大事な仕事であり、手はぬけないが、時間には限りがある。
 自分を律し、無理のなく、破綻しない形で、文章を書こうとする。そうすると、ひたむきさを失う。
 いっぽう昔と比べて、今はいい気になったり、調子にのったりすることへの批判が、厳しくなっている。
 その結果、文学にしろ音楽にしろ、抑制のとれた隙のない作品のほうが評価されやすくなる。
 無謀な野心と限度の自覚。この両極に針をふりきることなく、行ったり来たりするのが理想なのかもしれない。

 わたしの場合、自分の力を省みず、勘違いとおもいこみとそれなりの情熱をもって、将来の進路を決断した。当然のように、壁にぶつかり、食うや食わずの時期を経て、だんだん高望みしなくなった。

 しかしそれだけではつまらない。
 自分の力以上のことに取組むことを避けてしまうようになるからだ。

 無謀な野心をもった大人と知り合うことは、ほんとうに大事だ。無謀な半生をすごしてきた人を見ると「これでいいんだ」「まだまだいける」とおもう。
 
 五日連続、ペリカン時代で飲む。

2010/07/12

活字と自活の話

 まもなく(七月十三日予定)、新刊『活字の自活』(本の雑誌社)が発売になります。
 表紙は山川直人さんに描いていただきました。古本屋と中古レコード屋と喫茶店のある町の絵。すごく気にいってます。

 昨日、西荻ブックマークで古書現世の向井透史さんとトークショー。

 三年前にメルマガの早稲田古本村通信で「高円寺だより」という連載をはじめたころ、向井さんから「今二十代くらいの若い人に向けた文章を書いてみては」というようなことをいわれた。
 ちょうど同じ時期に、無責任な立場ながら、わめぞの活動に参加させてもらうようになり、それまでどこにいっても若手だったのが、いつの間にか、自分が年輩組にいることに気づいた。
 仕事が長続きしない。人間関係がうまくいかない。生活に困っている。
 今の二十代で本に関する仕事をしている人の境遇は、わたしが二十代のころよりもはるかに厳しい。

 若い人といろいろ話をしているうちに、こうすればよかった、ああすればよかった、とおもったことがある。昔の自分にやれといっても、たぶん、できなかったことかもしれないけど、そういうことをいったり、書いたりしてもいいのではないかとすこしずつ気持が変化していった。
 そのきっかけになったのが、向井さんの一言だったのである。

『活字と自活』は、不安定な仕事をしながら趣味(読書)と生活(仕事)の両立する上での試行錯誤をつづったコラムとエッセイを集めた本といえるかもしれない。

 トークショーの最後のほうで、しどろもどろになりながら、今回の本で紹介している中井英夫の『続・黒鳥館戦後日記』のことを話した。
 西荻窪のアパートに下宿していた若き日の中井英夫は「僕に、どうにか小説を書ける丈の、最低の金を与へて下さい」と綴っている。
 この日記には次のような理想の生活を書いてある。
 お客がきたら米をごちそうし、一品料理でもてなしたい。新刊本屋、古本屋をまわって好きな本を買い集めたい。レコードがほしい。ウイスキーや果実酒を貯蔵したい。友達に親切にしたい。芝居や映画が見たい。
 自分の生活が苦しいときに、現実を忘れさせてくれるような壮大な物語を読みたいとおもうときもあるのだが、どちらかといえば、わたしは直視したくないような現実をつきつけられつつ、それでもどうにかなるとおもえるような本が好きだった。

 気がつくと、トークショーでは貧乏話ばかりしていた。

2010/07/06

ミケシュの謎

 金曜日、西部古書会館。初日の午前中に行く。

 気長に探すつもりだったジョージ・ミケシュの『これが英国ユーモアだ』(中村保男訳、TBSブリタニカ、一九八一年)があった。二百円。ミケシュの翻訳本で読みたかったものはこれでほぼ揃う。

 ミケシュの本にかぎらず、英米のコラムやエッセイは、ビジネス書や自己啓発書みたいなタイトルの本(例:ジョージ・マイクス著『不機嫌な人のための人生読本』ダイヤンモンド社)が多く、古本屋のどこの棚にあるのか見当をつけにくい。この見当がつかないまま本を探している時期が楽しいともいえる。未開拓の領域が広がっているかんじがすると、古本屋通いにも熱がはいる。もちろん未開拓であれば何でもいいというわけではなく、何かしらのフックがないといけない。

 日頃、ぼんやり考えていることが、こんがらがって、形にならないまま、自分の中に沈殿している。ところが、ある本を読んだ途端、沈殿していたものがかきまわされて、もういちど考えてみようという気になる。考えがこんがらがるのは、わたしの問題点の立て方がズレているからだろう。とくに正論と自分の思考との“ズレ幅”を把握できていないときに混乱しやすい。

 ジョージ・ミケシュはそうした世間と自分との“ズレ幅”をよくわかっている気がする。正論や常識からすれば、間違っているとおもわれる意見や主張でも、直せばつまらなくなるところは直さない。他人からすれば、欠点であっても、それがあるおかげでもの考えたり、文章を書いたりすることもある。ミケシュのエッセイやコラムは、理路整然とした文章から導き出せない結論に辿り着くことが多い。しかも結論付近でお茶をにごす芸(煙に巻く芸)が素晴らしい。

 ミケシュは、ユーモアには、よいものとよくないものと謎がふくまれているという。

《よいのは、ユーモアが面白いということで、悪いのは、ユーモアが攻撃的性格を帯びていること、謎なのは、いったい、私たちは何がおかしくて笑うのかということなのである》(「ユーモアとは何か」/『これが英国ユーモアだ』)

 ユーモアについて論じた一文だが、ミケシュの考え方は、善悪の分別よりも、答えが出ない謎に向かう。否、わざわざ謎を探しているといったほうがいいかもしれない。わたしが読みたいのは「いいかわるいか」という議論を混乱させる謎に充ちた本である。でもなかなかそういう本は見つからない。

2010/07/01

ふぉとん叢書

 三木卓著『雪の下の夢 わが文学的妄想録』(冬花社)を読んだ。今年二月に刊行されていたのだが、まったく気づかなかった。
「ふぉとん」という文芸誌に書いたものを中心にまとめたもので、わたしはその雑誌のことも知らなかった。
 この本のあとがきを読んでいたら、その文芸誌を「自分にもよくわかっていないことを考える場にしよう、と思った」と記してあった。

「現場をめぐって」「今の文学について」「批評について」といった文学エッセイもおさめられている。

 宮沢賢治は、没後、その作品が見出され、今なお読みつがれている。しかし同時代の文化にかかわることはできなかった。

《いうまでもなく、それは作家の責任ではない。作家は内心の声にしたがって書くよりない。精一杯仕事をしたとき、それが無人島に生まれついて、そこで一人で生きたのではないかぎり、必ず時代と社会にかかわるものとなるはずである。それに、どう現在の読者がプラグを接続することが出来るか》(現場をめぐって)

 この文章は、自分の中でくすぶり続けている不安定な気分をすこしだけ和らげてくれた。
 誰もおまえのことなんか知りたくない——そうおもう人が大多数であることを前提に文章を書いている。
 とはいえ、わたしが好んで読んでいるのは、いってもしょうがないようなことが書いてある本なのだが。

 わたしも「自分にもよくわかっていないこと」を考えようとおもいながら、文章を書くことが多い。小学校高学年くらいのころからそうしていた。書かないと考えることができない。
 癖であり、習慣であり、職業病である。

 仕事の場合、なるべく読みやすくしよう、できればおもしろくしたい、とおもいながら書くよう心がけている。
 その技術が身につけば、考える幅も広がるということはあるかもしれない。

 すこし前にペリカン時代に行ったら、カウンターの上に三木卓のエッセイ集と同じふぉとん叢書の東賢次郎著『レフトオーバー・スクラップ』という短篇集があった。昔、旅先で知り合った人が書いた本だと聞いた。飲みながら読んで、冒頭から引き込まれ、圧倒される。現実と非現実のまざり方が色川武大みたいだなともおもった。

 どうしてこんなにすごい作品がもっと話題になっていないのか不思議でしかたがない。

 元編集者で今は京都でミュージシャンをしているらしい。