2016/12/03

強情さが必要(四)

《文学者には、苦悶と冒険が必要だと云はれるがそれはその通りだ。私は、平凡な庶民生活の中に、それがいつぱいあることに気づいてゐる。家常茶飯事の中に、危機と冒険がある。それを単に平凡で退屈だと見るのは、見る方の感度が鈍いのである。われわれの生活も、生きると云ふことも、生そのものも、謂はば「一寸先は闇」なのだ》(「異議あり」/尾崎一雄著『わが生活わが文學』)

 ある座談会で、自分の作風を「保守的」「反逆精神がない」と批判されたことにたいし、尾崎一雄はそう反論した。ちなみに、この座談会で三島由紀夫は終始、尾崎一雄を擁護している。

 尾崎一雄の家は、神主の家筋で、父は神道系の学校の先生をしていて、子どものころは厳格な躾けのもとに育てられた。

《私のやうに厳重なカセをはめられてゐた者には、それを脱するだけですでに大仕事だ》

 厳格な家で育ち、文学の道を志し、無頼放蕩の日々を送り、親類縁者のあいだで鼻つまみになり、「逃亡奴レイ」のような生活をしていた時期もある。しかし、その生活を改める。

《「逃亡奴レイ」がまた鼻について来たからである。そいつがまた一つの型に思はれて来て、これではつまらんと気づいたのである》

《今では、平凡で善良な庶民の一人として、その中に生きることを心がけてゐる》

 尾崎一雄は、放蕩無頼の生活を立て直していく過程をくりかえし小説に書いている。

『わが生活わが文學』の「気の弱さ、強さ」では、「独自の作風をうち出した作家は、他人の云ふことなど気にしない、あるひは鼻であしらふ一面を有つてゐると思ふ」と綴っている。

(……続く)