「自分がやりたいことだけでなく、相手にもプラスになるような仕事のやり方」云々の話が途切れたままだった。
二十代のころのわたしは、やりたい仕事ばかり選んできたわけではない。毎回、自分のやりたいことだけやって、お金がもらえるともおもっていない。厳しいスケジュールの仕事も引き受けることもあったし、誰かが落とした原稿の代わりに突貫工事のような穴埋め記事を書くこともあった。
出版界の景気がよかったころは、二回一回くらいは好きに書かせてもらえたのが、それが三回に一回になり、五回に一回、十回に一回といったかんじで、しだいにやりたくない仕事ばかりやらされるサイクルに陥っていた。
古本屋に行く時間や本を読む時間や酒を飲む時間を削って、やりたくない仕事ばかりやる生活は耐えられなかった。それでアルバイトで生活費を稼ぎ、金にならないけど、好きなことが書ける仕事だけをやるようになった。
こうしたやり方が正しいとはおもっていない。でも、わたしには合っていた。だから続けられた。
二〇〇〇年代になると、フリーター・バッシングが激しくなった。わたしはフリーターという働き方にいいもわるいもないという考えだ。本人が合っているとおもうのであればそれでいい。すべての人が就職し、フルタイムで働くことをよしとする社会のほうがおかしい。自分の目には狂っているように見える。
定職につかず、ふらふらしていると「そんな生活、いつまでも続かないぞ」と忠告される。二十年前にそういわれた。
わたしは寝たいときに寝て、好きなだけ本が読める生活を望んでいた。その生活を続けるためなら、お金のかかる趣味とか老後の安心とかはいらないとおもっていた。
正しいかどうかはわからないが、やりたいことと楽しいことはわかる。やりたいことと楽しいことがわかっているなら、あとはどう実現させるか。わたしはそればっかり考えていた。
(……続く)