2016/12/07

強情さが必要(八)

 三十歳前後の数年間、わたしがもっとも熱心に読んだ作家は尾崎一雄である。その後も折りにふれて読み返している。何度も読むのは尾崎一雄の生き方や考え方にしっくりくるものがあったからだ。

 尾崎一雄の「亡友への手紙」に次のような言葉がある。

《大体こういう場合、僕は、その穴からスタコラ逃げだすことにしている。或いは、触らぬ神にたたりなし、と横目でちょっと見て通り過ぎようとする。その手は喰わない、と肚に力を入れてみたりする。僕が俗物だからだ》

《僕はスタコラ逃げ出したいんだ。厭なんだ僕は。僕は、そんな穴に入るのは厭だし、いわんやどこまでもおっこちてゆくなんて、真っ平なんだ》

 この「穴」が何かはあえて説明しない。
 深刻になる、真面目に考えることが、かならずしも、よい解決策ではない。スタコラ逃げる。興味本位で「穴」をのぞきこむこともしない。

『尾崎一雄対話集』の「現在・過去・未来」と題した三浦哲郎、秋山駿、平岡篤頼との座談会で、尾崎一雄が「三島っていうのは本当に頭がいいと思いますね」という。ただし「三島は勉強しすぎですよ。頭がいいし、よくわかるんだけど、自分が傑作を書こう、偉くなろうという、傑作意識に刺激されて無理してるの」とも……。

《僕は三島君てのは、非常に反発するところがありますけども、頭がよくてぱっとわかるというところは非常に敬服してますよ。ただあんまり野心が強すぎるために背伸びしすぎて、それで折れちまった、そういう人ですよ》

 尾崎一雄の思考はどこかぼんやりしている。自分のことを「凡人」といえる強がらない強さみたいなものがある。
 文学とは、私小説とは……その答えはわからない。答えが知りたいわけでもない。「現在・過去・未来」という座談会では「私小説は駄目だ」「文壇が沈滞する」と攻撃されていた時期のことを尾崎一雄が回想している。

《僕らは私小説でなきゃいけないとはけっして思っていなかったんですよね。だけどあったっていいじゃないかと。牡丹の花もあるし、桜の花もあるし、野菊だってあるし、いいじゃないかと。そのものとしていっぱいに咲いていればいいじゃないかと。僕はそう言うんですよ》

 また「昭和文学奈良時代」では、学生時代に敬愛する志賀直哉を片上伸に批判されても尾崎一雄はまったく屈しなかった。

《理屈でいくら片上さんにやられても僕はいいと思っているんだから。けれどもこっちはそれを理屈でやり返すことはできないんだ。理論はなんにもわからないんだから。だけれどもいいと思っている、これはしようがないです。知情意というのがあるんだ。知は片上さんにかなわないですよ。けれども志賀さんのいいところを感じる力は、おれのほうがある。正確だと思っているからそれは納得しなんですよ》

 尾崎一雄にとって志賀直哉は批評の対象ではなかった。作品を読み返し、養分にし、自分が文章を書き続ける力にした。何をいわれても、自分は「いいと思っている」気持はゆるがない。私小説にかんしても「あったっていいじゃないか」の一言であらゆる批判に対抗できた。

《他人の批評に右往左往してゐたら何も出来ないことは、絵も文章も同じだな》

 怠けたり、時にはスタコラ逃げたりしながら「いいと思っている」ことをやり続ける。
 わたしもこういう人生を送りたい。

(……とりあえず、完)