中村光夫著『文學の囘歸』(筑摩書房、一九五九年刊)の「占領下の文學」という評論を読む。
《これまで漠然と戦後文学と言われて来たものは、むしろ米軍占領時代の文学と呼ぶべきで、そう呼ぶことで、いろいろな性格がはっきりすると思われます》
終戦後、人々は食物だけでなく、文学にも飢えていた。戦時中は「知的鎖国」によって外国文化も容易に触れることができなかった。
すこし前まで敵国だったアメリカ文化の流入に多くの人々が抵抗を示さなかったのは、日本人の外国の文化にたいする「飢餓感」も関係しているだろう。
当然、アメリカの占領政策には負の遺産もある。しかしそれを差し引いても、戦前戦中と比べ、国民生活は向上した。
中村光夫も占領の恩恵を認めている。
《僕はこの被占領の期間、ことに最初の半分ほどが、一般の庶民が我国ではかつてないまた今後もあり得ない自由を享有した時代ではなかっかと恐れる者です》
《占領軍の行ったさまざまの施策は、(たとえその究極の目的が彼等自身の利益のためであったにしろ)僕等が僕等自身の幸福のために、自分ではやる力のないことを代わってしてくれたことはたしかです。軍隊と特高警察がなくなっただけでも僕等の生活がどれほど明るくなったかわかりません》
しかし、そうした与えられた自由(中村光夫の言葉でいえば、「実験室で養われた動物のように、温室のなかで享受していた『自由』」)には弊害もある。
《戦争から占領と十年以上つづいた窮乏と盲従の生活が、知らぬ間に国民のものを考える力を萎縮させ、感じる能力を麻痺させてしまっているのです》