もう八月。本読んで酒飲んで寝ているうちに一年がすぎてしまいそうだ。毎年のことだが。
仕事が一段落したら、見えないところの掃除をしたいとおもっていた。洗濯機の裏とか。埃がすごい。あと二、三年放置してある資料のコピーの整理もしたい。夕方からはじめて午前三時。まだ終わらない。
掃除の合間に『フライの雑誌』最新号を読む。この号はオイカワとカワムツの特集。身近な川魚だけど、奥が深い。座談会が異様な盛り上がり。みんなおかしい。堀内正徳さんの「オイカワ釣りが好きすぎて②」を読んでいたら「珍しくも何ともないオイカワ/カワムツだからこそ、釣りたいのに釣れなかったときのショックは大きい」という文章があった。
さらに釣れなかったとき「言い訳をしづらい」。ベテランの釣り師でも釣れない日もある。
ただ魚を釣るだけなら、フライフィッシングより、もっと簡単な釣り方はいくらでもある。体長十センチ前後の小さな魚を釣るために、毛鉤の種類に悩み、ロッドを振るタイミングを試行錯誤する。誰に頼まれたわけでもないのに……。ものすごく暇なのかといえば、そうでもない。不思議だ。
わたしはポール・クイネット著『パブロフの鱒』(森田義信訳、角川書店)という本について書いた。わたしは「魚」よりも「釣り人」の生態に関心があるようだ。
釣りという入り口から深く広く細かく世界を考える人たちがいる。そういう人たちの言葉がおもしろい。
資料整理の途中、二〇一四年五月一日付の情報誌『地方小出版 アクセス』が出てきた。巻頭に『フライの雑誌』の記事。「商業誌でありながら商業主義を否定するという、矛盾した編集方針を掲げています。」って……。
やっぱり、おかしい。