尾崎一雄の『随筆集 金柑』(竹村書房、一九四一年)は二十年前、もう閉店してしまった京都の古本屋で買った。以来、何度も読み返しているが、五十歳になってますます心にしみるようになった。
「相變らず」は日米開戦前の昭和十六年二月に発表された随筆である。文学者としてこれからどうやっていくか。尾崎一雄は「自分としては大して変るまいと考へてゐる」という。
《こんな所へ引合ひに出して失礼だが、井伏鱒二氏が、「自分は変らない」と云つたそうで(どこかの座談会だそうだが)、それを取り上げて、井伏氏を非難してゐる匿名の文章を読んだことがある》
当時、作家が時勢に無関心なことへの批判があった。尾崎一雄と井伏鱒二は「思想のない」作家とおもわれていた。
《ひとり今度の新体制と云はず、何か社会情勢が変ると、慌てて着物を変へたり身振りをそれらしくすると云ふのは、根本的に落度があるからだろうと思ふ》
日々の情報に翻弄されながらも、なんとかいつも通りに暮らしたいとおもう。
部屋の換気をし、掃除をする。しっかり睡眠をとる。新聞を読み、ニュースを見たら、昔の本を読む。そうやって心のバランスをとっている。
《読書とは、要するに考へることだと思つてゐる。したがつて、大半を忘れても、何か考へさせてくれた本なら、いい本だと思つて了ふ》(「悪い読書家」/『随筆集 金柑』)
八十年前に書かれた随筆だ。本好きの心情は昔も今も変わらない。尾崎一雄は古本好きで知られる作家でもあった。
《北向きの小さい静かな日本間に、一閑張りの小机を据ゑ、ゆつくりと気に入った本を読む、眼が疲れたら散歩ながら碁敵きを襲ひ一二局ならべて帰る。そして晩酌には菊正二本位、実に佳いなあと思ふ》
変わらないことが正しいとはかぎらない。しかし変わらない人が書いた文章を読むとすこし気持が落ち着く。そして晩酌も。