2020/05/06

十二歳

 今年は五月五日にコタツ布団を洗った。
 年によって多少ズレるが、コタツ布団は五月の連休中にしまい、そのかわりに扇風機を出す。次にコタツ布団を出すのは十一月くらいだろう。

 コタツと扇風機はそれぞれ半年ずつ使う。それが自分の区切りになっている。

 話は変わるが、すこし前に西部古書会館で買った『歴史読本ワールド』の「アメリカ合衆国大統領」の号(一九八八年四月)に川本三郎の「THEY ARE INNOCENT」というエッセイが収録されていた。
 ゴルバチョフ夫妻がアメリカを訪れたとき、夫人が記者に「いまマーク・トウェインを読んでいます」と答えた。
 ヘミングウェイは『ハックルベリイ・フィンの冒険』がアメリカ文学の原点といった。そこからアメリカ文化は「子ども」性を大切にするという話になる。

《自分たちはヨーロッパとは違った国を作りたい、ヨーロッパとは違った文化をフロンティアに新しく作っていきたい。そこから「子ども」性の重視という無意識の伝統が形成されていったのだろう》

 この話を読んでふとおもったのがマッカーサーの「日本人十二歳説」だ。
 すこし前に占領期に関する本をいろいろ読んでいたとき、マッカーサーの「日本人は十二歳」という言葉に多くの国民が失望したと半藤一利のエッセイにあった。わたしもそうだとおもっていた。しかし「子ども」性を重視するアメリカ人の言葉と考えると「十二歳」には可能性を秘めた無垢な国という意味も含まれていそうだ。

 アメリカの父親が子どもに釣りを教えるように日本人に民主主義を教えていたつもりだったのかもしれない。
 敗戦国にたいし厳しい制裁を求めるアメリカ人を抑え込む意味でも「十二歳」という言葉は有効だったのではないか。