夜がつまらない。わたしは日付が変わる直前くらいの時間に飲みに出かけることが多い。行きつけの店の営業はまだ再開していない。再開したとしても深夜営業はまだ先だろう。ふだん何をしているのかわからない夜型の常連組はどうしているのか。
《私の仕事は、一種の座業だから、家に引っ込んでいることが多い。しかし、屋内に長く閉じこもっていると、どういうものか、意欲がだんだん鈍ってくる》(「ときどき素顔に返れ」/『一人のオフィス 単独者の思想』思潮社、一九六八年)
鮎川信夫は酒を飲まない。そのかわり深夜のレストランに出向く。コーヒーやオレンジジュースなどを注文し、店のすみっこで思いにふける。
《主要なテーマはいつも決まっている——「おれは自分の人生の大部分を、なにかしたくないことのために奪い取られているのではないか?」》
答えは出ない。出なくてもいい。多くの人が眠っている深夜の町に出かけ、無意味なことを考える。その時間が好きだと鮎川信夫はいう。
息抜きに出かける町は新宿だった。ほかの本のエッセイでも二四時間営業の喫茶店とサウナをよく利用するという話を書いている。
時評の合間に何てことのない日常を綴る。その日常の部分がなかったらわたしはくりかえしこの本を読むことはなかっただろう。
《私にとって、もっとも素顔にかえれる時間は、午前四時だ》
鮎川信夫は「深夜族」だった。朝型でも夜型でもない不規則な生活を送っていた。
わたしもなるべく不規則に生きたいとおもっている。今後も。