2020/05/10

なまけ親父

 わたしは富士正晴の本がある古本屋が好きだ。富士正晴の本が並んでいる棚にはその近くにもいい本がありそうな気がする。
 ささま書店の富士正晴の本が並んでいた棚の周辺には長谷川四郎や小沢信男の本をよく見かけた。

 富士正晴著『思想・地理・人理』(PHP研究所、一九七三年)は十年以上前にささま書店で買った。一〇五〇円の値札がついている。
 目次を見ているだけで楽しい。
「現代の隠者にふさわしき者」「男性的隠棲考」「一億総サル化現象」「丘の上にひきこもり…」「冬眠終わる」「われ動かず」——。
 わたしの好きなエッセイは「なまけ親父」だ。

《世の中が性急になって行くばかり(特に日本は)なので、性急であることが日に日に厭になって来ている。ゆっくりとしていたい。
 利のあるところに人がすべて殺到するようなので、利を考えることが日に日に厭になって来ている。なるべく利の薄い方に廻りたいという気がしている》

《タバコをもっと控えた方がいいぞ、深酒はよせよ、ウイスキーのガブのみはいかんぞ、そんなことしていると長生きは出来ないぞ。
 いや、結構。余り長生きはしたいとは思わん。タバコとウイスキーは唯一のわたしの生活のアクセントである。そのほかに余り欲望はない。強いていえば、もう少し広い家に住めて、本の背中がみな読めるように並べることの出来る本棚と、その場所があったらなと思うぐらいのことだ》

 三十代のころのわたしも「本の背中がみな読める」暮らしに憧れていた。それで立退きのさい、奥行の狭い本棚を買い替えた。本棚からあふれた本は売った。
 すべてではないが、なるべく背表紙が見えるように本を並べたい。背表紙を見るたびに読んだ本のことをおもいだす。

 西部古書会館が一ヶ月以上も休館している。つまらない。部屋の掃除ばかりしている。