火曜日、最高気温三十八度。晴れの日一万歩、雨の日五千歩を目標にしているのだが、最近は晴六千歩、雨三千歩くらい。ただ歩数に関してはあくまでも目安にすぎす、目的はなるべく家の外に出ることなので気にしない。
先週、神保町の澤口書店で『幻妖 山田風太郎全仕事』(一迅社、二〇〇七年)を入手。後に再編集したものが角川文庫から刊行されているが、一迅社版はB5判(週刊誌サイズ)で新刊書店、古書店でも見た記憶がなかった。二〇〇〇年代以降に刊行された好きな作家の書籍でも見落としがある。
『幻妖 山田風太郎全仕事』の「山田風太郎という『生き方』」に「もう何もやらなくても、全然良心にとがめを感じないなあ」という発言があった。『図書新聞』(一九九三年一月一日号)に掲載された中島河太郎との対談での言葉。風太郎、七十歳ごろか。さすがは「列外」の人である。
《「山田、列外へ!」——これはいい言葉だ。そうだ。私はいままで、いつもこの世の列外にいるような気がし、やがてそのことに安らぎを得て来たようだ。列の中にはいると、かえって、これは変だと違和感を感じるのである》(「風々院日録」/『半身棺桶』徳間文庫)
このエッセイの初出は『新潮45』(一九八八年一月号)。風太郎、六十五歳(まもなく六十六歳)。「風々院日録」はこんな文章も出てくる。
《このごろ若い人に、「出世なんかしなくっていい、えらくなんかならなくっていい。好きなことをやって、平凡に一生を過したい」という風潮がはやり出しているそうだ。もしそれがほんとうなら、私は彼らの偉大なる先人である》
やりたいことはないが、何とか気楽に暮らしたい。若いころから風太郎はそう願っていた。わたしものんびりした生活を送りたかった。親の期待を拒否し、競争を避け、面倒な責任を背負わされずにすむ「列外」の人に憧れていた。しかし「列外」で食っていくにはどうすればいいのか——。
山田風太郎は「忍法帖」をはじめ、多額の印税があったから、飲むぞ寝るぞの暮らしができたのは事実だろう。永井荷風は貯金があったから戦中、軍への不服従を貫けたという話とも重なる。
貯金があっても、もっと働きたい、もっと影響力を行使したいという人もいる。ようするに、金の多寡、才能の有無だけでなく、気質や体質の問題でもある。
三つ子の魂百までというが、「列外」の人は幼少期から列からはぐれがちでそんな自分がどうやって生きていけばいいのかを考え続けてきたにちがいない。誰もがそうなれるわけでもない。なりたくてなるというより、気がついたらそういうふうにしか生きられなくなっていた——というのが実状なのではないか。