木曜日、新宿と神保町(仕事)。東京堂書店、色川武大著『オールドボーイ』(P+D BOOKS)がベストセラーの二位。収録作の半分くらいは『明日泣く』(講談社文庫)と重なる。“芹さん”こと将棋の芹沢博文の晩年を描いた「男の花道」は再三四読している。“神童”、“若き天才”と呼ばれ、テレビにもひっぱりだこだった棋士が年齢とともに勝てなくなり、酒、ギャンブルに溺れ、親しい人たちの忠告も聞かず……。芹沢九段が亡くなったのは一九八七年十二月、享年は五十一。
表題「オールドボーイ」のヒロインのみどりは三重県の僻村の出身という設定である。三重といっても広いが、この僻村は色川武大の友人でインド研究家の山際素男の郷里——志摩郡船越村(現・志摩市大王町)あたりではないかと勝手に想像する。
《そして東京。まぶしい都会の、眼くるめくような光源の部分に夢中で突進した。それはまったく別世界で、三重の生家のことなど頭の中から消えていた。石にかじりついても、自分はこの光の中で生息しなければいけない。頭のてっぺんから爪先まで、ナウい、ピカピカした人の中で》
「オールドボーイ」の初出は『週刊小説』一九八九年二月十七日号。
三重は田舎かもしれないが、名古屋、大阪、京都に出ることはそれほど難しくない。この小説の時代設定が八〇年代だとすると、名古屋に暮らしていたこともあるみどりからすれば、東京は「まったく別世界」というほどの差はない……気がする。すくなくとも僻村と名古屋、名古屋と東京を比べたら、僻村と名古屋の差のほうが大きいだろう。
……というのが三重県民(母は志摩育ち)で一浪して名古屋の予備校に通い、「オールドボーイ」の初出年に上京したわたしの感想だ。
一九二九年三月生まれの色川武大がこの小説を書いたのは還暦前——。最晩年の作品である。
「オールドボーイ」の主人公・館石は小説の中でこんなふうに評されている。
《不良少年がそのまま四十近くになってしまって、それで世間とチグハグになっている顔なのだ》
色川武大は「世間とチグハグ」な人たちへの郷愁を誘う作品が多い。単に昔はよかったという話ではない。昔には戻れないと諦めつつ、世間と折り合いがついていない生き難い人に寄り添う。寄り添うというか、色川武大もそちら側に身を置く作家だったといってもいい。
『うらおもて人生録』(新潮文庫)の「向上しながら滅びる——の章」にこんな一節がある。
《人間がこの世に住みつこうとするならば、その土台に合わせて、自分をどこかで適応(状況にあてはめる)させていかなければならないんだな》
……「土台」と「適応」の話はいずれまた。