2021/08/28

『海』創刊前

 金曜昼すぎ西部古書会館。木曜日から開催していたことに気づかなかった。でも大収穫。街道と文学関係の図録がいろいろ買えた。今回、神奈川の古本屋さんも参加していた。大和市の香博堂はいい本をたくさん出品していた。今年の西部で一番の出費になってしまった。
『海』発刊記念号(一九六九年六月号)、創刊特大号(一九六九年七月号)の二冊も格安で買えた。わたしは一九六九年十一月生まれなので同い年の雑誌ということになる。

『海』発刊記念号「シンポジウム 文学と現代社会」の「人物をいかに描くか」は武田泰淳、野間宏、安岡章太郎の座談会。ほかにも武田泰淳の「富士と日本人 長篇『富士』をめぐる感想」も掲載——。

 武田泰淳が富士の山梨側に山荘を建てたのは一九六四年十一月。

《ある時、深沢七郎さんが山小屋にやってきて、そわそわしながら「ここは富士山ですか」と聞くんだ。まあ富士の一部だよ、と言ったら、どうしてこんなこわいところに住むのかと言って、たいへん心配してくれる》

 深沢七郎の郷里の山梨県の石和では「富士山は恐怖の対象とする語りつたえがある」とのこと。

 創刊号の編集後記には「前号の予告でお知らせした武田泰淳氏の連載小説『富士』は、氏の懸命な努力にもかかわらず、ついに時間切れとなって、掲載にいたりませんでした」と……。
 その経緯は村松友視著『夢の始末書』(角川文庫ほか)に詳しい。

《そうこうしているうちに、創刊号が出てしまい、その号にはついに武田泰淳の「富士」は載らなかった。(中略)すでに発刊記念号で予告している武田泰淳の「富士」はいったい実現するのか……社内でも取沙汰されたらしく、編集長も私の押しが足りないのではないかという表情をしている》

 結局、『富士』の序章が届いたのは創刊から四号目のしめきり直前だった。
 武田泰淳だから許されたのか。半世紀ちょっと前の編集部がゆるかったのか。『富士』は泰淳の代表作となった。原稿を落としても良好な関係が続いたおかげで、その後の泰淳の作品だけでなく、武田百合子の諸作品も中央公論社から刊行されることになった。
『海』創刊時、泰淳は『新・東海道五十三次』を毎日新聞に連載していたが、その単行本は中央公論社から出ている。

 武田泰淳、野間宏、安岡章太郎の座談会でも安岡が「武田さんいま、『道』の小説書いておられるけれども」と街道の話をしている。中央公論社の編集者は、泰淳のために街道関係の資料もいろいろ渡していた。『富士』に「大木戸」という名の人物が登場するのもその影響だろう。

『夢の始末書』はずいぶん前に読んでいるのだが、記憶がけっこう薄れている。『夢の始末書』の角川文庫版は吉行淳之介が解説だったことも忘れていた。