2021/08/17

閑話休題

 土曜日、西部古書会館。ガレージのところにあった七〇年代の古雑誌を何冊か買う。『文芸』(一九七二年一月新年特大号)は永井龍男、井伏鱒二の対談「文学・閑話休題」が目当。この対談は『井伏鱒二対談集』(新潮文庫)にも収録されているが、初出の雑誌には二人が歓談中の写真がある。
 志賀直哉が亡くなったのは一九七一年十月二十一日。雑誌の発売日から逆算すると、この対談は志賀が亡くなってからまだそれほど日が経っていない。
 戦後しばらくして、井伏鱒二は河盛好蔵に連れられて志賀直哉の家に行った。しかし志賀さんは留守で「広津さんのところか映画館ということで、広津さんのところに行ったら……」。
 当時、志賀直哉と広津和郎は熱海に住んでいた。一九四八年か四九年ごろか。広津家に行くと「いまここへ帰っていらっしゃいますと広津さんの奥さんが言う」。
 志賀さんは河盛さんから井伏さんを紹介されるや否や近所の店でサントリーの角瓶を買いに行き、「ひとりごとのように、井伏君は酒で有名だからねと言われた」。

 井伏鱒二が志賀直哉に会いに行ったことについては——。

《永井 別に用事ということではなしに?
 井伏 話を聞きにね。僕はほとんど口がきけなかった。河盛さんは話題が豊富だからよく話した。志賀さんの禁煙当時だが僕はプカプカとタバコばかりふかしてウイスキーを飲んでいた。あとで人から聞いた話だが、井伏君というのは無口だねと》

 志賀直哉は井伏鱒二の十五歳年上だから当時六十五歳。井伏五十歳前後、河盛四十代半ばくらいか。井伏、河盛は荻窪に住んでいた。そこから宿もとらず連絡なしに熱海行く。居なければ居ないで別にかまわなかったのだろう。電話が普及する前の文士の交遊はのんびりしていた。

《永井 僕は晩年のものはあまり読んでないので、まとめて読みたいのですが、晩年というか、筆を断つ直前のものを読みたいと思っているが。
 井伏 最晩年のものでは、産経に出た新年随筆の「雀の子」に感心した。感心のあまり、その原稿がほしいと思って、産経記者の吉岡達夫君にいろいろ交渉して、吉岡君からもらった》

 大らかな時代というか何というか。後に志賀直哉は自分の原稿を井伏鱒二が所持していることを知るが、自分が書いたのか妻が清書したのか覚えてなかった。吉岡達夫は小沼丹の小説や随筆にもよく出てくる。
 井伏鱒二は他にも志賀直哉の原稿を持っていることを自慢すると、永井龍男は「二つも持ってるとは不届き千万だ」と……。

《井伏 原稿に消しがあるね。清書したあと、「しかし」を消して前からの続きで「が」にしたり……その話はいつかあんたにしたよ。そしたら、僕達一生あれで苦労するのだなあと。「が」とか「しかし」でね。
 永井 そういうことがありましたな》

 対談時、井伏鱒二は七十三歳、永井龍男は六十七歳。なんてことのない雑談だが、二人の言葉の端々から志賀直哉への敬意、そして文学の滋味が漂っている。

《井伏 その作家を研究しようとすれば、その作家の失敗作は非常にためになるね。
 永井 そうそう。そして若いうちの作品というのは、破綻だらけで一向さしつかえないと思う。そのなかに、ここのところが光っているぞというものが一ヶ所あればいいでしょう。そういうものがなんかこのごろ無視されているような、人の目に立つようなテーマを扱って、そしてアッピールすること。そういうことのほうが強くなっていますね》

 五十年くらい前の対談だが、今の編集者も永井龍男の発言を噛みしめてほしい。名文家で知られた永井龍男の言葉というのがまたいい。