二十九日(木)、夕方神保町。この日も文学展パンフレット漁り。『愛媛新聞創刊120周年記念 高橋新吉の世界展』(一九九六年)など。愛媛の文学展は正岡子規と夏目漱石が多い。『高橋新吉の世界展』が開催されていたことは知らなかった。高橋新吉は一九〇一年西宇和郡伊方町の生まれのダダイスト詩人である。
土曜日、西部古書会館のち阿佐ケ谷散歩。コンコ堂、八木義徳の本がたくさん並んでいた。『家族のいる風景』(福武書店、一九八五年)など。この日、都内の新型コロナの感染者数は過去最多の四千五十八人(※訂正しました)。
この生活はいつまで続くのか。今の状況はよしあしでいえば、「あし」ばっかりな気もするが、強引に「よし」を見いだすなら、何か一つのことに専念したい人からすれば、集中しやすい環境といえるかもしれない。
人付き合いが減り、散財する機会が減り、その分、自分一人の時間が増える。
新刊のマイケル・ルイス著『最悪の予感 パンデミックとの戦い』(中山宥訳、早川書房)を読む。プロローグから引き込まれた。二〇〇四年、中学生の女の子が科学研究コンテストのために未知のウイルスによるパンデミックに関する調査をはじめる。父は科学者でその人脈(一流のプログラマー)も加わり、感染症がどのように拡大していくかのモデルを築き上げていく。
ワクチンの数が足りないときどうすればいいか。アメリカ政府は「最も死亡リスクの高い、高齢者にワクチンを投与する」という方針だった。これは今回の新型コロナにおける日本の対策も同じだ。
ところが――。
《「さかんに社会的な交流をして、感染を拡大させているのは、若い人たちなのよ」と娘が言い出したんです》
若者にワクチンを投与した場合の予想を計算した結果、「病気を媒介する能力」が減少し、「高齢者は感染しなかった」。もちろん、この研究がそのまま現実になるとはかぎらない(ワクチンを打っても感染が防げるわけではなく、無症状の感染者が増えることで拡大してしまうこともあるだろう)。
ただ、それでも十七年前にこうした着眼点でパンデミックについて研究していた人物がいたわけだ。
本書にはワクチンの確保のための提言をはじめ、感染症に関する危機管理についても記されている。
どれほど優れた理論(もしくは技術)があったとしても、実行する人がいなければ、机上の空論に終わる。『マネー・ボール』では、出塁率などの指標を駆使して躍進する野球チームを描いたが、その理論自体、八〇年代から野球ゲームの世界では知られていた。
過去、何度となく感染症は流行してきた。どれだけデータがあってもそれを正しく読み解くのはむずかしい。理論や理屈では人は動かない。集団の動きにはイレギュラーがつきものだ。困ったことに民主主義のルールではできないことも多い(選挙で不利になるような政策は採用されない)。
結局、自衛しかない。マスク、手洗い、栄養と休養、部屋の換気を忘れずに。