八月十二日(木)から九月二十日(月・祝)まで「モボ・モガの生みの親 新居格の仕事」が徳島県立文学書道館で開催(『些末事研究』の福田さんのツイッターで知る)。こんな状況でなければ今すぐ行きたい。徳島には東京からフェリーで行きたいのだが、まだ実現していない。
新居格は徳島県坂野郡大津村(現・鳴門市)生まれで上京後は長く高円寺に住んでいたアナキストであり評論家である。戦後、杉並区の区長や生活協同組合の理事長もつとめた。
『随筆集 生活の錆』(岡倉書房、一九三三年)の「断想」に「わたしは天下国家のことを論ずるのはきらひだ。村のこと、町のこと、町の中の知合ひのこと、その人達の商売の好調、生活のよさ、運命の明るさについて考へることがすきだ。その人達と陽気な挨拶を交はし、朗らかに語ることがすきだ」とある。
新居格の随筆の軸は散歩と読書だった。日常、そして生活を大切にしていた。彼は精神の平穏を保つために歩き、本を読んでいたようなところがある。そして平熱の文章を書くことを心がけていたようにおもう。
さらに表題の「生活の錆」にはこんな一節がある。
《僕は号令を発するような調子で物を云ふことを好まない。肩を聳やかす姿勢は大きらひだ。啖呵を切るやうな云ひ方をするのが勇敢で悪罵することが大胆だと幼稚にも考へてゐるものが少くないのに驚く。形式論理はくだらない。まして反動だの、自由主義だの、小ブルジョワだのと云ふ文字を徒らに濫用したからと云つて議論が先鋭になるのではない。どんなに平明な、またどんなに物静かな調子で表現しても内容が先鋭であれば、それこそ力強いのだ》
たしかに新居格の文章は「平明」で「物静か」なものが多い。戦前戦中の時代状況を考えれば、稀有な資質といってもいいだろう。わたしがくりかえし読みたくなる文章もそういうものだ。
『遺稿 新居格杉並区長日記』(波書房、一九七五年)を読むと、娘の新居好子さんの「父を語る」で「父は成人になって柔和な寛容な性格の奥に、幼い頃の孤独を秘め、個人的に誰れ彼れと騒いだり、はめをはずすことはなかった」とありし日の新居格を回想している。