月曜日午後三時、ある本を受け取るため、西荻窪へ。帰りは荻窪まで歩く。途中、ミニコープ、ワイズマートで食材と調味料を買う。たまに西荻〜荻窪間を歩く。「上荻本町通り(商店会)」という道がある。長年この通りの名を知らずにいた。
ワイズマートで買物中、万歩計の電池が切れる(よくある)。鞄から予備の電池を出し、交換する。その日歩いた歩数が消える。
すこし前にバーバラ・N・ホロウィッツ、キャスリン・バウアーズ著『WILDHOOD 野生の青年期 人間も動物も波乱を乗り越えおとなになる』(土屋晶子訳、白楊社)を読んだ。
書店で立ち読みしていたら「フライフィッシングをする優しそうな男性も、それがたとえおじいちゃんでも、実際には、太古からの捕食者のだましのわざを駆使する熟練したハンターだといえる」とあり、購入を決めた。海外のノンフィクションを読んでいると、釣りの本以外でもフライフィッシングの話をちょくちょく見かける。
警戒心の弱い大人になったばかりの魚のほうが擬似餌の標的になりやすい。たぶんそうなのだろう。捕食者から身を守り、安全に生きるための知恵をつけること。それが生物(動物)の成長にとっては欠かせない。
人間の子どももそうだ。一切の危険から遠ざけて育てようとすれば、危機回避能力は身につかない。
同書で印象に残ったのは次の一節である。
《ここで、特筆に値するのは、モルモットからオマキザルまで、青年期に仲間と荒っぽい取っ組み合いごっこをたくさんした者たちは、ほかの個体と出会ってもすぐに戦いを始めたりはしない点である。(中略)遊びを通して、動物の若者はダメージを受けずに、対立の折り合いのつけ方を試すことができる》
この部分を読んでいるとき、色川武大著『うらおもて人生録』(新潮文庫)の「野良猫の兄弟——の章」をおもいだした。色川武大は野良猫のオスの兄弟を観察する。兄は「なかなか戦闘的で、なおかつ開放的」でよく懐いた。弟は「どうにもひっこみ思案」で警戒心が強く、なかなか人に近づこうとしない。
《はじめ、俺は、警戒心の強い臆病猫は生き残るんじゃないかと思った。積極的な猫は、危険なことにもたくさんぶつかるはずだからね。
ところが、ちがうんだ》
臆病な猫は長生きできず、積極果敢な人懐っこい猫は何年も元気に生きた。色川武大は「危険を避けているだけじゃ駄目なんだねえ」と書いている。この兄弟猫の件はたまたまそうだっただけかもしれないが、危険を避けてばかりでは安全に生きられない。
人生にも通じる教訓のような気がする。