ジョージ・ミケシュ(マイクス)の『不機嫌な人のための人生読本』(ダイヤモンド社)の話の続き。この本に「低俗な幸福について」というエッセイがある。
《とりまく環境がばら色になれば、しあわせになり満足しやすいと考えるのは大まちがいである。われわれの満足は、たいていの場合、とりまく環境とまったく関係ないのだ》
前回のブログで引用した部分とも重なる内容だ。どんなに恵まれた環境にいたとしても「満足する能力」がなければ、幸せになるのはむずかしい。
ミケシュは六十代半ばに医者からこのままでは失明すると宣告される。さすがの彼もショックを受けた。
《だがわたしは、目の見えないまま人生をすごしている、勇気ある、賢い人たちがいることに気づきはじめ、だんだん六〇歳代になって目が見えなくなることに、なにがしかの利点を見出しはじめたのである。それは挑戦である、とわたしは考えた》
ミケシュはたとえ目が見えなくなったとしても、人生にはいろいろな愉しみがあると考える。たとえば、音楽がそう。料理を味わう。体を動かし心地よい汗をかく。季節の移り変わりを肌で感じる。世の中には愉快なこと、新鮮な驚き——まだまだ自分の知らない喜びはいくらでもある。
あと見たくないものを見なくてすむことは利点といえるかどうか。