2022/01/04

新春

 三日、氷川神社に初詣。午後三時すぎだったが、神社の外の道まで人が並んでいる。ぺこぺこぱんぱんの謎作法(わたしはしない)のせいでひとりあたりの時間がちょっとずつ長くなっている。
 年末年始は三重に帰省せず。ウイスキーのお湯割りを飲みながら、お笑い番組をだらだら見たり、ラジオを聴いたり、本を読んだり……。

 昨年あたりから営業が三日、四日からのスーパーが増えた(無休の店もある)。
 上京したころ——一九九〇年代のはじめの年末年始の高円寺も店が開いてなくて、ひたすら鍋で過ごした。鍋でうどん、鍋で雑煮、鍋で雑炊……。

 新年の初読書は滝田ゆうの『変調・男の子守唄 下町望郷篇…』(学研、一九八五年)。同書の「師走の日記より……」で滝田ゆうが母に「ポンチ絵なんか描いて世渡りしようなんて了見は道楽者のすることだ!」となじられた話を回想している。

『ぼくの裏町ぶらぶら散歩』(講談社、一九八八年)にも「道楽者」という随筆がある。

《漫画を書くことを、自分自身の生涯のなりわいとして、四六時中、原稿と睨めっこをして、今日までやって来たが、かつて密かにこの世界を志したとき、おふくろはいち早くそれを察知して、おふくろはぼくに“道楽者”の烙印を押し、なにかにつけて“親不孝”を連発して、かなり手厳しくぼくをののしったものだった》

《以来三十余年。売れても売れなくても、ぼくはこの道一本にしがみついて来た》

 滝田ゆうは一九三一年十二月二十六日生まれ。十八、九歳ごろ、田河水泡の内弟子になる。田河水泡の荻窪時代ですね。昨年六月、田河水泡の『少年漫画詩集』(教育評論社)が復刻された。田河水泡の本名は高見澤仲太郎。ペンネームは「田=た、河=か、水泡=みず・あわ(たかみざわ)」からきていることを知る。『少年漫画詩集』が昭和二十二年に“復刊”した時の「復刊によせて」に記されていた。
 小林秀雄の妹は田河水泡と結婚し、高見澤潤子の名で随筆を書いている。滝田ゆうの随筆に敬虔なクリスチャンの高見澤潤子が出てくる話があった。

 ユーラシアがヨーロッパとアジアを掛け合わせた言葉と知ったときも「いわれてみれば……」という気持になったが、田河水泡のペンネームの由来がわかったときの心境もそれに近い。ブランチがブレックファストとランチを合成した「かばん語」と知ったときも「なぜ気づかなかった!」とおもった。

 五十歳すぎると、新年の抱負なんて何も浮ばない。とりあえず一年無事に過ごせたらいいなと……。今年もよろしく。