2022/01/24

逆の見方

 ジョージ・ミケシュ(マイクス)の文章は逆説と皮肉が多く、読むのにすこし苦労する。本の原題も「How to〜」ではじまる入門書っぽいものが多い。一見、実用書風のタイトルで読者をひっかける。

『不機嫌な人のための人生読本』(ダイヤモンド社)の「逆の見方」にはこんな一節がある。

《ほとんどの人びとは世の中に対して、自分自身の理想化されたイメージを見せようとする。かれらは他の人たちに対して(実際のところ、自分自身に対しても、よりそうなるのだが)ほんとうの自分ではなく、ほんとうでない自分を見てもらいたいと思っているのである》

——ケチは寛大を装い、怠け者は働き者のフリをする。

《道徳的義憤は、人の感情のなかでもいちばん疑わしいものである》

 もちろんミケシュは「道徳的義憤」そのものを否定しているわけではない。それを大きな声で主張する人々を警戒しているにすぎない。ミケシュにいわせると「うけいれられ、信じられている説にあえて対抗しようとする哲学者」のような人物こそが「ほんとうの英雄」なのだ。おそらくミケシュ自身、そういった人物を「自分の理想化されたイメージ」と重ねていたのかもしれない。

「逆の見方」では、ミケシュと同じユダヤ系ハンガリー人のアーサー・ケストラーの『機械の中の幽霊』の話を紹介している。

《異教徒を拷問にかけたり焼き殺したりしたのは、こうした永遠の魂の捨てがたい善良さであるとも述べている。部族間の戦争は、けっして個人の利益ではなく、部族のため、たとえば共同の利益のために戦われるのである。宗教戦争はどちらがすぐれた神学かを決めるために戦われ、他の世継ぎ争い、王朝の争い、国家内の戦争などは、戦っている人びとにとってみれば、個人的にはなんの興味もないような問題のために、行われているのである。共産主義にはパージとよばれるものがあり、そのことは「社会衛生のための行動」という意味をふくんでいる。ナチスのガス室なども同じ種類の衛生だったのである》

 ミケシュは「逆の見方」をこんな文章で結んでいる。

《宗教や教義をすなおに信奉する人のほうが、すべての時代の堕落した犯罪者を総合したよりも、苦悩と流血の原因となってきたし、現在もその原因となっているのである》