鮎川信夫著『時代を読む』(文藝春秋、一九八五年)は、一九八二年~八五年のコラム集である。「ソルジェニーツィン来日の意味」にはじまり「『現代ロシア』を知る」で終わる。
《ソルジェニーツィンは愛国者である。れっきとしたロシア文学の伝統の保持者であり、そのために、ソ連当局の忌諱にふれ、国外追放されたようなものである》(「ソルジェニーツィン来日の意味」)
ソルジェニーツィンがヨーロッパ、アメリカ、日本を訪れたのは「ロシアを顧みるためだった」と鮎川信夫は指摘する。
この本の「ソルジェニーツィンの警告」(初出は八三年四月)は、来日したソルジェニーツィンの滞在中の記録『日本よ何処へ行く』(原書房)の書評兼時評——鮎川信夫は共産主義体制下で人々が生きる希望を失い、地下資源と武器しか売るものがなくなったソ連の現状を語りつつ、こう続ける。
《ソルジェニーツィンは、個人の幸福の追求に基礎をおく西欧社会の在り方に、かなり失望感を抱いているようである。それゆえ、自由な体制がいいとは言わず、もっぱら、伝統的な宗教や道徳の重要性を強調し、自己抑制の必要を説いたのであろう》
そんなコラムを読んだあと、土曜日、西部古書会館。『ソルジェニーツィン・アルバム』(江川卓訳、新潮社、一九七七年)を買う。赤い表紙の正方形の写真集。はじめて見た。
《ソルジェニーツィンにおいて何より私を感嘆させるのは、地上のだれにもまさる脅威にさらされ、だれにもまさる闘いをたたかってきた人間——この人間にそなわる平静そのもののたたずまいである。何物も彼の心の平衡を破ることはできまい》(ハインリヒ・ベル)
この写真集の冒頭にはそんな賛辞もそえられている。
八〇年代、鮎川信夫は時評で何度もソルジェニーツィンを取り上げた。鮎川信夫の時評に触発され、『ソルジェニーツィン短篇集』(木村浩編訳、岩波文庫、一九八七年)を読んだが、二十代の自分はピンとこなかった。
《私は自分の書いたものがたとえ一行でも生存中に活字になることはけっしてないだろうと確信していたばかりでなく、相手が口外することを恐れて、身近な友人たちのほとんどだれにも自分の作品を読ませようとしなかった》(『ソルジェニーツィン・アルバム』)
戦時下や圧政下に詩人や文学者は何ができるのか——は鮎川信夫の長年のテーマだった。
わたしにできるのはせいぜい気晴らしや気休めの提供くらいだろう。そういうものが書ける場所を守ることも平和につながる……のではないか。常時非常時問わず、「平静」と「心の平衡」を保つことは有用だと信じている。