二週間ほど前、神保町の田村書店の半額セールで松本武夫著『井伏鱒二年譜考』(新典社、一九九九年)を買った。昨年の九月ごろから、神保町の何軒かの店でこの本を見つけていたのだが、値段が七千円前後だったので購入を躊躇っていた。田村書店で会計をすませると、五十肩の痛みを楽にする方法を教えてくれた編集者とばったり会い、近くの喫茶店で珈琲を飲む。新型コロナの流行前は古本屋で友人と会って、そのまま喫茶店に流れることがよくあった。
古本好きは行動パターンが似ている。その人その人の巡回コースがあり、それが重なる人とはしょっちゅう出くわす。
『井伏鱒二年譜考』を読む。「井伏家 略系図」を見ると、嘉吉年間(一四四一年頃)までさかのぼる家系の記録が残っている。一四四九年頃、「井」姓から「井伏」姓になった。
一四四一年——室町時代の日本はどんな世の中だったのか。今谷明著『土民嗷々 一四四一年の社会史』(創元ライブラリ、二〇〇一年刊)という本があるようだ。読んでみたい。
『井伏鱒二年譜考』を読みたかったのは、戦中、山梨の疎開時代について知りたかったからだ。
一九四四年——井伏鱒二、四十六歳。
《五月、山梨県甲運村で瓦工場を営む岩月由太郎家の離れにある、祖母岩月久満(くま)の隠居所の一階に、節代夫人と四人の子どもが疎開する》
《七月、井伏鱒二も山梨県甲運村の岩月家に疎開する》
井伏鱒二の年譜、聞き書きを読んでいると疎開の時期が一九四四年五月〜七月とばらつきがあった。そのことがずっと気になっていたのだが、五月に家族が山梨に移り住み、そのあと井伏鱒二が疎開した。その間、井伏鱒二は荻窪と山梨を何度か行き来していたのだろう。年譜には六月二十五日に太宰治が「疎開中の井伏鱒二を訪ねてくる」との記述もあった。
甲運村に疎開した後も井伏鱒二は「防空演習」のため、何度となく一人で東京に帰っていた。