2022/02/08

久七と伊勢信仰

 高円寺の天祖神社の話を書いたが、同じ日、西部古書会館で『社寺参詣と代参講』(世田谷区立郷土資料館、一九九二年)というパンフレットも買っていた。

『文化財シリーズ24 杉並の神社』(杉並区教育委員会)には、小沢村(高円寺)の郷土民の山下久七が寛治元年に今の東高円寺に天祖神社を建てた——という伝承が残っているが「創建の由来については、寛治元(一〇八七年)と伝えられているが詳かでない」とある。

『社寺参詣と代参講』の「伊勢信仰」によれば「古代の伊勢神宮は、私的な奉幣は禁じられていたが、中世になると頼朝が御厨を寄進し『行私』の祈願を行っていたように、私的な祈願も観られるようになった」。
 古代の伊勢神宮は皇室以外の祈祷や奉納は禁止されていた。

《私的に伊勢神宮へ参詣した記録は、鎌倉後期になって現れる。弘安頃の権僧正通海の『通海参詣記』、同じ頃の後深草院二条の『とはすかたり』、弘長年間の無住の『沙石集』などに、参詣の記述がある》

 弘安は一二七八年から一二八八年。山下久七が高円寺と伊勢を行き来していたのはその二百年くらい前といわれているが「記録」はない。ただし伊勢神宮の「私幣禁断」がゆるんだのは平安時代の後期(諸説あり)らしいので、そうすると山下久七が毎年伊勢神宮に行っていた可能性もゼロではない。
 宗教史——ほとんど勉強していないのだが、街道とも密接な分野である。多くの人が神社仏閣を訪れることで整備されていった道はけっこうある。どこまで調べるか、どこまで歩くかも絞っていかないとキリがない。

 何事も動きながら考えるのがいいのだろう。それしかない。しかし寒くて外に出られない。