2023/01/14

新宿のハーモニカ横丁

 土曜日、西部古書会館の大均一祭(初日二百円)。『現代の随想17 井伏鱒二集』(小沼丹編、彌生書房、一九八二年)など。彌生書房の「現代の随想」シリーズは古本屋でよく見かけるが、この井伏集は持っていなかった。家に帰って目次を見て「新宿のハーモニカ横丁」という随筆を読む。
 新宿の飲み屋街の「道草」「龍」などに通っていたころの話である。

《もうそのころ私は五十前後の年になつてゐたが、私より年上の青野(季吉)さんもこの横丁の常連であつた》

 青野季吉は酒癖があまりよくない。

《酒を飲むと人に講釈するたちであつた》

《上機嫌に文学を談じてゐるかと思ふと、不意に威丈だかになつて怒りだすことがあった》

 井伏鱒二は「青野さんの飲みかたを見て、自分は六十になつたら、いつぱい屋で飲むのは止そうと思つてゐた」と書いている(が、実行できず)。
 青野季吉は一八九〇年二月、井伏鱒二は一八九八年二月生まれだから、年の差は八歳。井伏鱒二が五十歳前後のころ、青野季吉は五十七、八歳だった。

 今、わたしは五十三歳でその間くらい年齢なのだが、酔っぱらうと若い人相手に「講釈」してしまうことがよくある。気をつけよう。

「新宿のハーモニカ横丁」を執筆時、井伏鱒二が何歳だったのか。『井伏鱒二集』には初出が載っていなかった。
 松本武夫著『井伏鱒二年譜考』(新典社、一九九九年)を見る。すると、一九六三年七月、雑誌『芸術生活』に「ハーモニカ横丁」を発表、その後「新宿のハーモニカ横丁」と改題し、『現代の随想17 井伏鱒二集』に初収録した——ことがわかった。
 井伏鱒二、六十五歳。年譜考、ありがたい。
 ちなみに『芸術生活』は古山高麗雄が編集者をしていた雑誌だ。
 古山高麗雄の年譜(『プレオー8の夜明け』講談社文庫の自筆年譜)によると、一九六二年二月「教育出版株式会社を辞し、株式会社芸術生活社に入社、『芸術生活』の編集に従事す」とある。芸術生活社はPL教団の外郭団体で古山さんが退社したのは一九六七年十月——ひょっとして井伏鱒二に原稿を依頼したのは……。わからないのが、もどかしい。