ついこのあいだ年が明けた気がするのだが、もう一月下旬。何をしていたのかあやふやなまま時が流れていく。カタールのW杯の決勝戦もちょっと前くらいにおもえる。一ヶ月以上前か。
「神奈川近代文学館」の機関誌(第159号/二〇二三年一月十五日発行)に「尾崎一雄没後40年 “天然自然流”に生きる」というエッセイを書いた。文学館の仕事ははじめてかもしれない(文学館に雑誌をコピーしに行くアルバイトはしたことがある)。神奈川近代文学館は一九八四年開設、晩年の尾崎一雄も同文学館の設立に尽力し、亡くなる一年前に名誉館長に就任している。カフェ「昔日の客」の関口直人さんから「読んだよ」と電話があった。尾崎一雄、尾崎士郎の話をいろいろ聞かせてもらった。
尾崎一雄著『新編 閑な老人』(中公文庫)に収録した「歩きたい」(初出『小説公園』一九五四年二月号)は五十四歳のときの作品である。
大病から回復して、すこしずつ歩けるようになってきた。かつて行った土地を再訪したいと野心を抱くようになる。尾崎一雄の「踏切」(『虫のいろいろ』新潮文庫などに所収)でも再訪したい土地の話を書いている。五十二歳くらい。
《昔通った小学校への道を、再び辿ってみたいという私のひそかな、しかし割に強い願望は、よく考えてみると私のこの頃の傾向の——大げさに言えば象徴なのかもしれない》(「踏切」)
——「小学校への道」は三重県の宇治山田の明倫小学校の通学路である。
土曜日午後、野方まで散歩した。ここのところ、ひまを見つけては西武新宿線沿線の野方駅〜鷺ノ宮駅あたりを歩いている。通りのあちこちに駅や学校までの距離を記した標識がある。
野方の北原通り商店街の肉のハナサマ、肉のモモチでいろいろ食材を買う。肉のハマナサ、二十四時間営業だったのか。ハナマサのプロ仕様シリーズの喜多方ラーメン(三玉入り)が好みの味だったのでまた買う。プロ仕様シリーズ——乾物も充実している。
野方駅の踏切で立ち止まっているとドラえもんのラッピング電車(DORAEMON-GO!)が通り過ぎた。
高円寺、野方を往復すると八千歩くらい。行きはでんでん橋、帰りは宮下橋を通った。
野方を歩くようになって耕治人も読み返している。耕治人は野方四丁目に住んでいた。福原麟太郎の家の近所だった。
本を読むこと、歩くこと——どこかで重なり、つながるとおもっているのだが、どうなるか今はわからない。ただ歩くだけ。歩きながら、何ができて何ができないか、そんなことばかり考えている。